気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

形木本尊の開眼供養は存在しなかった。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて現在の日蓮正宗大石寺宗門では曼荼羅本尊を信徒に授与する際、「開眼供養」がされているかどうかを問題とするようです。というのは創価学会が現在信徒に頒布している大石寺26世日寛書写カラーコピー本尊を「法主の開眼がない故に偽本尊である」として、日蓮正宗側は批判しているからです。
現在の大石寺の授与本尊も同様に現68世早瀬日如氏書写のカラーコピー本尊を信徒に頒布しているのですが、それは印刷であっても「開眼供養がなされたから偽物ではない」という理屈のようです。
 
ところで本来、近代大石寺宗門における形木本尊(印刷による本尊)というのは、実はまだ信仰が不安定な新入信の者に対して、数年間、試しに授与するものでしかなかったのです。そのような一時的な印刷本尊に対して法主がわざわざ開眼供養を行う理由は存在しませんでした。
 
明治35年(1902年)4月28日、大石寺56世大石日応の下で、釈日照が39代目の大学頭に補任されます。その後、日照は明治39年1906年)9月、宗教事情の視察のために朝鮮半島に渡ります。このことは『富士年表』にも記載されています(『富士年表』387ページ、富士学林、平成2年増訂版)。

 
大石寺59世堀日亨の記録によるなら、実はこの際、この渡韓で日照は9世日有が模写した大石寺の「紫宸殿本尊」を「写真石版に縮写し・新入の信徒に授与」したのだそうです。このことは堀日亨の『有師化儀抄註解』に記録されています(『富士宗学要集』1-113ページ)。

この記録を読みますと、朝鮮布教の翌年に帰国した日照は、新入信者に与えたこの形木(印刷)本尊に関して日照自身の判形を加えるべきか否かについて堀日亨に質問をしています。つまり日照の説明によるなら、彼が朝鮮半島で授与した形木本尊は大石寺法主の日応の関与しない形木本尊だったことになります。だからこそそれらの形木本尊には法主日応ではなく、自身の判形を認めるべきではないかと考え、宗史に詳しい堀日亨に聞いてみたことがわかります。確かに朝鮮半島に一年もいて、日応がそこに開眼供養に関わられる筈もありません。またあり得ないことですが、仮に日応が日照渡韓前に事前に全ての形木本尊に開眼供養をしていたとするなら、日照が自分自身の判形を本尊に書き加えることを検討すること自体が不自然なことです。
そんなわけで、元々の近代宗門に「形木本尊への開眼供養」と言うものは存在しなかったと思います。
 
 
参考文献
松岡幹夫『日蓮正宗の神話』論創社、2006年