気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

神座=位牌のこと。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて今回は大石寺の「位牌」(神座)について、少し書いてみたいと思います。
日蓮正宗創価学会の時代(つまり宗創和合時代)から信徒の方はおわかりかと思いますが、基本日蓮正宗の当時の教義では「神座」つまり位牌は立てなかった筈です。亡くなられた方は基本過去帳に記入し、祥月命日に供養をするということをしていたかと思います。
 
 
 
大石寺では「位牌」のことを「神座」(じんざ)と呼びます。
大石寺9世日有は『有師化儀抄』の中で、この神座=位牌を立てないことを主張しているのです。以下の画像は『富士宗学要集』1-77ページからのものです。

 
「神座(イハイ)を立ざる事、御本尊授与の時、真俗弟子等ノ示し書キ之レ有り、師匠有レは師の方は仏界の方、弟子の方は九界なる故に、師弟相向ふ中央の妙法なる故に、併ラ即身成仏なる故に他宗の如くならず、是レ則事行の妙法、事の即身成仏等云云。」
(日有『有師化儀抄』富士宗学要集1-77ページ)
 
 
したがって神座=位牌は本来立てないのが大石寺の教義であったことになります。
ところが、これが後世に有名無実化し、例えば十二角堂に歴代法主の神座が祀られたり、また神座が法主によって書かれ、信徒に与えられたことがあるのです。
以下の画像は法主書写の神座です。
右側:60世日開書写神座、昭和11年
左側:62世日恭書写神座、昭和14年
なお、故人及び願主の氏名はマークで消してあります。

 
大石寺9世日有が禁止した筈の教義「神座」がなぜ後世に有名無実となり、時の法主によっては各信徒に与えられるまでになっていたのか不明です。
従いまして大石寺の教義というのは、時代に応じて変わってきたものであり、開山以来、先代の法主の教義も変容してきたというのが実態なのかと思います。
 
 
 
追記
今回の記事を書くにあたり、元信者の方から神座の画像情報を教えて頂きました。ありがとうございます。