気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日興讃文と近年の大石寺法主讃文の書法は異なる。




いつもみなさん、ありがとうございます。




私は元広宣部あがりで、活動家時代に他宗派対策をしたせいで散々教学的に小難しいブログ記事も書いているのですが、そんな立場上、私は大石寺系の本尊画像を見ることが多かったものです。
で、当時から何とはなく気づいていたことなのですけど、本尊左上「有供養者福過十号」と右上の「若悩乱者頭破七分」の文(教学的には一般に「讃文」と呼ばれるので、以下は「讃文」と呼びます)の書き方が、大石寺開山の日興書写本尊と、近年の大石寺法主書写本尊とで異なっているのです。



どういうことかと言いますと、普通創価学会法華講信徒さんが拝んでいる大石寺法主書写本尊は大抵が「讃文」が「右上と左上」に「各一行」で書かれています。
例えばわかりやすく画像で載せますと、創価学会授与の日寛書写本尊ではきちんと各讃文が「右上と左上」に「各一行」で書かれています。

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この書法は近年の大石寺法主の書法でほぼ例外がなく、例えば細井日達(66世)や阿部日顕(67世)も例外なくきちんと「右上と左上」に「各一行」で書写しています。

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ところが、日興は違います。日興の場合「右上と左上」に書かれる場合もありますが、少し下方、本尊真ん中の左右に配置されることも多く、加えて「各一行」ではなく讃文を「二行程度に分けて」書くことが多いのです。例えば大石寺に現存する正慶元年11月3日の日興書写本尊では、讃文はそれぞれほぼ「左右中部」に位置していまして、書き方も真っ直ぐではなく「2行に分けて」書かれているのです。この日興書写本尊は大石寺に現存するものです。

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加えて大石寺の開山日興から比較的初期の第9世日有まで本尊の讃文は、左右上部に各一行で書写されてはいないのです。
例えば大石寺6世日時の書写本尊では「各二行」で讃文が書かれています。しかも「左右上部」ではなく少し下に位置されています。以下の画像は応永9年10月13日書写、柳目妙教寺蔵の日時書写本尊です。

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また9世日有の本尊でも讃文は縦に真っ直ぐではなく少し斜めに書かれていまして、やはり2行扱いで書かれています。以下の画像は1体目が文安4年5月19日日有書写、村上家蔵のもの、2体目が長禄4年7月19日、柳目妙教寺蔵のものです。

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つまり大石寺歴代法主は、開山の日興が書写したように本尊をありのままに書写しておらず、むしろ日興の本尊書写様式を少しずつ改変していったというのが史実に近いのだろうと私は考えています。