いつもみなさん、ありがとうございます。
私は元広宣部あがりで、活動家時代に他宗派対策をしたせいで散々教学的に小難しいブログ記事も書いているのですが、そんな立場上、私は大石寺系の本尊画像を見ることが多かったものです。
で、当時から何とはなく気づいていたことなのですけど、本尊左上「有供養者福過十号」と右上の「若悩乱者頭破七分」の文(教学的には一般に「讃文」と呼ばれるので、以下は「讃文」と呼びます)の書き方が、大石寺開山の日興書写本尊と、近年の大石寺法主書写本尊とで異なっているのです。
例えばわかりやすく画像で載せますと、創価学会授与の日寛書写本尊ではきちんと各讃文が「右上と左上」に「各一行」で書かれています。
ところが、日興は違います。日興の場合「右上と左上」に書かれる場合もありますが、少し下方、本尊真ん中の左右に配置されることも多く、加えて「各一行」ではなく讃文を「二行程度に分けて」書くことが多いのです。例えば大石寺に現存する正慶元年11月3日の日興書写本尊では、讃文はそれぞれほぼ「左右中部」に位置していまして、書き方も真っ直ぐではなく「2行に分けて」書かれているのです。この日興書写本尊は大石寺に現存するものです。
加えて大石寺の開山日興から比較的初期の第9世日有まで本尊の讃文は、左右上部に各一行で書写されてはいないのです。
また9世日有の本尊でも讃文は縦に真っ直ぐではなく少し斜めに書かれていまして、やはり2行扱いで書かれています。以下の画像は1体目が文安4年5月19日日有書写、村上家蔵のもの、2体目が長禄4年7月19日、柳目妙教寺蔵のものです。