いつもみなさん、ありがとうございます。
私の父もこの御守り本尊を持っていて、子ども心に中のものを見せてもらったことを思い出します。
この書き方で非常に気になったのは、四菩薩の書き方です。通常ですと「上行菩薩」「無辺行菩薩」「浄行菩薩」「安立行菩薩」はそれぞれ1行ずつで勧請し、4行になっています。ところが細井日達のこの御守り本尊では見ておわかりのように「上行無辺行菩薩」「浄行安立行菩薩」と2つを1つにまとめてしまっています。
この書き方は、日蓮の書法にもあまり見られない書き方です。大石寺の根本本尊である戒壇本尊では四菩薩はそれぞれ1行ずつで書かれており、最上段は釈迦・多宝如来と合わせて6行の編成になっていることは、画像からも確認できます。
数少ないながら、実はそれらの例は確かに存在します。
1、文永10年?、佐渡妙宣寺蔵、女人成仏本尊
2、文永11年、佐渡妙宣寺蔵、阿仏坊授与本尊
3、建治2年8月13日、京都本満寺蔵、亀若護り本尊
4、建治2年8月13日、大阪市某家蔵
5、弘安元年3月16日、市川市中山法宣院蔵、病即消滅本尊
以下に紹介するのは、建治2年8月13日の「亀若護り本尊」で、確かに上行と無辺行とを1行にまとめて書いているのが確認できるかと思います。これらの書法は弘安元年以降には見られない書き方であって、文永後期から弘安元年までの短い期間のみに用いられていたことがわかります。
戒壇本尊以外の本尊を「一機一縁の本尊」と呼び、戒壇本尊を根本にしない全ての本尊に功徳はないとする大石寺という宗派の法主が、なぜ他宗派の「一機一縁の本尊」、しかも弘安元年以前の書法に倣って本尊書写をしなければならないのでしょう。
日興書写の本尊を見ると、日蓮書写本尊を厳密に書写しようとする厳格な姿勢を感じます。それなのに日興門流である筈の大石寺法主書写本尊からは、根本である筈の戒壇本尊を厳密に書写する意志が殆ど感じられません。