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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

干支の記入。




いつもみなさん、ありがとうございます。



戒壇本尊と歴代法主書写本尊との座配の検証はまた引き続き行いますが、今回は日蓮の年号の「干支」の記入について触れてみたいと思います。
日蓮が年号を書く場合には、必ずその年の「干支」を書きます。



最初の例は日蓮の著作から『聖人御難事』です。この真蹟は中山法華経寺に現存します。

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画像を見ればお分かりのように、日蓮自身が「建長五年」の後にきちんと「太歳癸丑」と干支を書いています。



次に曼荼羅本尊の例を見てみましょう。まず紹介するのは建治2年8月13日に書かれた本尊で、通称「亀若守り本尊」と呼ばれるものです。これは京都本満寺に現存しています。

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年号の「建治二年」の後にきちんと「太才丙子」と書かれています。



次に日蓮曼荼羅書写の最初期にあたる「楊枝本尊」です。これは文永8年10月9日、佐渡に行く途中、依知を出る時に書かれたとされるものです。

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画像でおわかりのように、「文永八年」の後に「太才辛未」ときちんと干支が書かれています。



日蓮は年号を書く際には必ず「干支」を記入するのが常でした。




弘安2年造立とされる大石寺奉安堂の「戒壇本尊」には「弘安二年」の後に「干支」は書かれていません。