気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

広宣流布という教義の否定。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて法華経をきちんと読むと「広宣流布」という語は薬王菩薩本事品第23にしか書かれていないばかりか、「広宣流布」自体は上行菩薩等の地涌の菩薩に委任されていないことがわかります。


広宣流布は誰に委任されたか」

如来神力品の別付嘱について」



「総付嘱」とされる嘱累品第22では「広宣流布」の語は出てきませんが、代わりに「流布此法」「広宣此法」は出てきます。しかしながらここで上行菩薩は、



「及多宝仏。并上行等無辺阿僧祇菩薩大衆、舎利弗等声聞。四衆。及一切世間天人阿修羅等。」



と書かれているだけで、上行菩薩は「并上行等無辺阿僧祇菩薩大衆」として、会座の大衆と一緒くたにされてしまっています。



そして別付嘱とされる如来神力品第21で「嘱累」すなわち委任について、書かれているのは以下の部分だけです。



「爾時仏告。上行等菩薩大衆。諸仏神力。如是無量無辺。不可思議。百千万億。阿僧祇刧。為嘱累故。以要言之。如来一切所有之法。如来一切之自在神力。如来一切秘要之蔵。如来一切甚深之事。皆於此経」



別付嘱とされる如来神力品でも付嘱は「上行等菩薩大衆」と書かれていまして、法華経文中からは上行菩薩を特別視する文脈を読み取ることが全くできないのです。



ここから素直に思うことなのですが、創価学会は「広宣流布」という語を今後使わない方が良いのではないかと思います。
そもそも薬王品の「広宣流布」の語は宿王華菩薩「ただ一人」に委任・付嘱されています。そして「広宣流布」と言う漢字4文字が付嘱されているのは法華経中で宿王華菩薩一人しかいません。嘘だと思ったらちゃんと法華経薬王品を読んでください。本当のことです。



で、それならば創価学会としては、もう「広宣流布」という教義を使わない方がいいんじゃないかと思うんですね。
あるいは嘱累品の「広宣此法」「流布此法」を「広宣流布」と同義と解して、嘱累品を上行等の地涌の菩薩への付嘱とする教義的解釈も可能でしょう。ただその場合は「総付嘱」と「別付嘱」という法華経解釈の教義を否定することが必須になります。
まあ、その辺は自己否定も謝罪もしないで、「しれっと」教義変更して「私たちは悪くないし〜」と言い張るのが創価学会大石寺系教団の特徴なので、事後的な説明は一切ないだろうなぁとは思います。まあ教団のそういうところが批判されているはずなのに、肝心の創価学会大石寺には馬耳東風なのでしょう。