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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大正5年縮刷本『日蓮上人』掲載の戒壇本尊画像。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて大石寺の奉安堂蔵・弘安2年造立とされるいわゆる「戒壇本尊」は、熊田葦城『日蓮上人』画像等で、その相貌をすでに広く知られています。



ところで、熊田葦城『日蓮上人』縮刷本の初版(良書刊行会、大正5年刊行)に、最も鮮明な画像が印刷されているという情報を得まして、今回、大正5年縮刷本・初版を閲覧する機会を得ることができました。情報提供者の方には改めて感謝申し上げます。
縮刷本『日蓮上人』掲載の「戒壇本尊」画像は以下のようになります。

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今回、この画像を改めて柳澤宏道氏の『石山本尊の研究』(はちす文庫、平成9年)の画像、及び解析の相貌とを見比べてみました。

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よくわかったことは以下のようになります。


1、戒壇本尊の座配は5段に分かれており、1段目は左右3行ずつの6行、2段目は左右6行ずつの12行、3段目は右4行左3行の7行、4段目が左右2行ずつの4行、5段目に天照大神八幡大菩薩の2行で、柳澤宏道氏の座配図と一致すること。

2、釈要文である「有供養者福過十号」と「若悩乱者頭破七分」は、戒壇本尊には書かれていないこと。

3、四天王の広目天増長天が梵名ではなく、きちんと和名で書かれてあること。

4、天照大神八幡大菩薩は左右にそれぞれ1行ずつきちんと分けて書かれていること。


主に以上のことがよくわかりました。


ここからすると、やはり戒壇本尊の相貌は『御本尊七箇相承』の指示と異なっていることがわかります。また天照大神八幡大菩薩を1行にまとめて勧請する大石寺法主の書写方法とも異なります。また客殿の御座替本尊(譲座本尊)の四天王を梵名で書く日興の書写とも異なっていることがよくわかります。



大石寺33世日元の天台伝教と天照八幡等の書き方」

「御座替本尊は戒壇本尊の書写ではない。」

「能く能く似せ奉るなり。」



改めて戒壇本尊が日蓮造立でも何でもない、後世の偽作であることがよくわかりました。



追記
なお、この熊田葦城氏による戒壇本尊の写真撮影は、きちんと大石寺の許可を取って撮影されたことがわかっています。このことは大石寺66世の細井日達も著作中で認めています。

「御本尊の写真撮影。」

なお情報提供者のお話によりますと、太平洋戦争中、この本から写真を切り抜いてガラス板に挟み、身に付けて出征した日蓮正宗信徒が少なからずいたとのことです。