気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

本尊の前に法華経を置く奉安様式。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は日蓮の本尊の奉安様式についてです。
以前書いたブログ記事では、例えば日蓮御影を曼荼羅本尊の前に置いたり、日蓮日興御影を曼荼羅の左右に置いたりする形式を述べたりしました。
今回は法華経や経典を曼荼羅と併せて安置する様式についてです。
 
 
「本尊の奉安様式の不統一」
 
 
大石寺ではさまざまな本尊様式が統一されずに併存してきた歴史があります。
 
 
 
さて今回、最初に紹介したいのは大石寺9世日有の『有師化儀抄』から次の一節です。
 
 
「法花経をば一部読まざれども一部本尊の御前にもをき我カ前にも置くべきなり」
(日有『有師化儀抄』富士宗学要集1-65ページ)

 
 
ここで「一部」と書かれているのは「法華経一部八巻28品」のこと、つまり法華経全巻のことです。大石寺9世日有は『化儀抄』で「本尊の前に法華経を安置すべき」だということを述べているのです。つまり大石寺の本尊奉安の化儀には曼荼羅本尊の前に法華経自体を置く形式がかつて存在したことになります。
 
 
では宗祖である日蓮自身はどう考えていたのでしょう。例えば『唱法華題目抄』(日興写本現存)を見てみましょう。
 
「第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり」
日蓮『唱法華題目抄』創価学会旧版御書全集、12ページ)

 
この『唱法華題目抄』で日蓮は「法華経八巻〜一品」あるいは「題目を書いたもの」のどれかを本尊と定めるべきだと述べています。
次に『曾谷入道殿許御書』(真蹟現存、中山法華経寺)を見てみましょう。
 
「此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし」
日蓮『曾谷入道殿許御書』同1038ページ)

 
つまり法を広める時に一代の聖教を安置しておくことが日蓮によって記されています。
 
 
また以前に何度もこのブログで紹介している、日興の『宗祖御遷化記録』ですが、この末文では日蓮の遺言について触れられていまして、墓所に釈迦立像を置くことが書かれた後、「私集最要文」として『注法華経』が挙げられ、墓所寺に置いて花を供えるよう書かれています。

 
 
以上の日蓮や日興の記録から見ても、大石寺9世日有が『化儀抄』で述べたように本尊の前に法華経それ自体を安置する奉安様式は上古の時代に大石寺に存在しており、また日蓮や日興の言葉とも相違しないと考えられます。
それならなぜ現代において、曼荼羅本尊の前に法華経それ自体を安置する様式が伝えられていないのか、なぜ変わってしまったのかと言うことが問題になるでしょう。
ここから見ても、大石寺というところが開山以来変わらない教義を維持していると主張するのは、かなり無理がある主張かと思います。