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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

釈尊を本仏とする文証。





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さて日蓮は、実は釈迦を本仏とし、久遠実成の釈迦を本尊としていたのですが、にわかに創価学会の方も日蓮正宗の方も信じないでしょう。



そこでいくつか日蓮遺文から文証を挙げ、考える材料としてみたいと思います。
創価学会員、そして日蓮正宗顕正会他、大石寺系教団信徒の方は、よーく御書を開いて、自分で考えることをお勧めします。






「ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏に・かぎりたてまつる」
◯「南条兵衛七郎殿御書」
◯御書全集(創価学会版)1494ページ
◯真筆現存:京都本隆寺
◯文永元年12月13日

・読んでそのままですが、日蓮本人が三徳を兼ね備える仏は釈迦の一仏だけであると説いています。



「釈迦仏独(ひとり)・主師親の三義をかね給へり」
◯「祈祷抄」
◯同1350ページ
◯真筆曽存、身延
◯文永9年
・身延曽存で、佐渡で書かれた御書です。佐渡以降の御書ですが、ここでも明確に「釈迦仏」だけが本仏としての三徳を備えていると書かれています。



「其の外小庵には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし」
◯「神国王御書」
◯同1525ページ
◯真筆現存:京都妙顕寺
◯建治元年
・文永8年、平頼綱の一団が日蓮の草庵に踏み込んだ時の庵の様子が描かれた一文です。ここでは日蓮自身が「釈尊を本尊とし」ていたことが書かれています。



日蓮自身が「本仏は釈迦のみに限る」ときちんと書いて遺しているんですね。
また草庵では釈迦の像を本尊としていました。この釈迦像は伊豆配流の際に作られたもので、日蓮自身、生涯放さずに持ち続けていたことが三位日順の「五人所破抄」に書かれています(同1614ページ)。



もちろん日蓮の心は如来寿量品にある久遠実成の釈尊でした。そしてその仏の使い、上行菩薩としての振舞こそが日蓮の生涯の戦いだったのだと考えられます。



追記:2016年12月18日
最澄は『守護国界章』、『依憑天台集』において、智顗を指して「如来使」という敬称を用いていますが、さらに『法華秀句』になると自身を「如来使」と称する場面も見られます。
ですから、日蓮の「如来の使い」という用語の先例は最澄であり、最澄を手本として法華経思想を展開していった跡が伺えます。
ここから考えても、日蓮が自身を釈迦を越える本仏とは考えていなかったことがわかるかと思います。