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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

久成釈迦仏と付属の弟子。

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いつもみなさん、ありがとうございます。


さて、冒頭画像に示したのは、大石寺開山、白蓮阿闍梨日興の『三時弘経次第』の本文画像です(日蓮正宗歴代法主全書1-43ページ)。



ここでは日興により、末法の本門寺構想が、迹門にあたる比叡山を手本にしていることが具体的に述べられていきます。



画像に赤くマークをしたところをよく見て頂ければわかるのですが、比叡山の本仏が「始成釈迦仏」なのに対し、末法における富士山本門寺の本仏は「久成釈迦仏」とされています。どこにも「日蓮本仏」とは書かれていません。
さらに加えて、その「久成釈迦仏」の付属の弟子は「上行菩薩 日蓮聖人」と書かれています。つまり広宣流布における末法本門寺の日蓮の立場は久成釈迦仏付属の弟子であるということです。これは保田妙本寺の万年救護本尊の讃文とほぼ一致します。



以前の記事でも書いたことですが、日興は『原殿御返事』の中で、仏像の造立について「それが始成釈迦仏ではなく四菩薩を伴う久成釈迦仏ならば構わない」旨を述べています。繰り返しになりますが、再掲してみましょう。



「此れのみならず日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道殿御微力を以て形の如く造立し奉らんと思召し立ち候を、御用途も候はずに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代りに、其れ程の仏を作らせ給へと教訓し進らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様は、責めて故聖人安置の仏にて候はばさも候なん。それも其の仏は上行等の脇士も無く、始成の仏にて候いき。其の上其れは大国阿闍梨取り奉り候いぬ。なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給へ候べき。御力契い給わずんば、御子孫の御中に作らせ給う仁出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし。」
(『編年体 日蓮大聖人御書』1732〜1733ページ)



上記の概要を述べてみますと、



「日朗が日蓮滅後に一体仏の像を安置したのを見て、波木井の原氏もまた釈迦像を造立しようとした。」
「日興はこれに対し、一体仏の造立は始成の釈迦仏ゆえに不可とし、四菩薩を伴った仏像の造立ができるまでは、日蓮御筆の紙幅の曼荼羅を以って仏像の代わりにしてもなんら問題はないとした。」



ということになります。
つまり日興の思想はあくまで久遠実成の釈迦仏こそが末法本門寺における「本仏」なのであり、日蓮はその「付属の弟子 上行菩薩」に過ぎません。
日興の著作を丹念に読めば、どこにも日蓮本仏説を読み取ることはできません。そもそも菩薩とは「ボーディ・サットヴァ」の音写で「悟りを求める心を起こす者」です。如来と菩薩とではその位も異なります。菩薩が仏であるはずもなく、そもそも日興は日蓮を「久成釈迦仏の付属の弟子」と表現しています。
あくまで日興における末法本門寺の本仏は「久成釈迦仏」なのです。



さらに加えれば、その末法における本門寺の「垂迹神」もきちんと「天照大神 八幡大菩薩」と書かれています。
すなわち広宣流布の暁に、天照大神等が富士山本門寺垂迹神になることを日興本人が認めています。



大石寺系教義に染まってしまうと、そこから離れて思索することが不可能になる方が少なからずいらっしゃいます。それは今まで信じてきたものが全て崩壊してしまうからです。
しかしながら虚心坦懐に遺文や文献を読めば、後世に作られた虚偽の教学がわかってくるものです。それをまず認めること、自分たちの信じてきたものが全て間違いだったと認めるところから始めなければならないでしょう。
それができないのなら、教義の不整合を認めようとしない大石寺創価学会という教団側の姿勢となんら変わるところがないでしょうから。