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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日蓮本仏説に不審を抱いた日精。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は大石寺18世の了玄日精が、実は日蓮本仏説に不審を抱き、久成釈迦本仏説を唱えていた可能性について、少し書いてみたいと思います。
今回の記事は、東佑介「日興と池田大作をつなぐものー日興門流の思想と展開」第30回「日精の本仏論とその周辺」(小川寛大編『宗教問題』40号所収、合同会社宗教問題、2022年11月)を参考にしています。
 
 
日精が造仏を認めたということで有名な著作は『随宜論』なのですが、これは『富士宗学要集』にも『日蓮正宗歴代法主全書』にも収録されていません。
東佑介氏の前述の記事には文章が一部紹介・収録されています。恐らくは『富士学林教学研究書』等からの引用なのかと思いますが、ここでは『宗教問題』40号から孫引きで紹介してみたいと思います。
 
 
「一体仏と雖も四大菩薩を脇士と為すは自受用報身如来なり。是れ五人所破抄の指南興師の御義なり。又一体仏たりと雖も日蓮聖人の御本尊の前に造立する釈迦は久遠実成の釈迦如来報身如来なり」
「次に感応日月本迹の事、是れ亦釈迦と日蓮との相対に非ず、唯仏与仏の相対なり。下種仏とは挙ぐる所の自受用報身、脱仏とは二番已下今日の応身仏なり。是れ即ち本果の釈迦は本なり天月なり。二番已下の脱仏は迹なり池月なり判文なり」
「次に久遠元初自受用身は即日蓮の事なりとは、此一段甚だ以て不審なり(略)日蓮の本地は上行、上行の本地は仏なり」
(前掲書142〜143ページ)

この中で非常に興味深いのは、やはり「久遠元初自受用身は即日蓮の事なりとは、此一段甚だ以て不審なり」と日精が明言しているところでしょう。
大石寺の現在の教義では、日蓮を久遠元初の自受用身とし、本仏とします。そのことを大石寺18世日精は「不審なり」と述べているのです。
 
 
更に加えて、日精の『随宜論』以降の著作として『日蓮聖人年譜』を挙げてみます。この中で日精は何と「但し三大秘法の時は久成釈尊を以て本尊とするなり」と述べているのです(『富士宗学要集』5-118ページ)。

 
 
『随宜論』には「寛永十戊年霜月吉日」とあるので、同書の成立は寛永10年(1633年)と考えられます。
日蓮聖人年譜』には年号が記されていませんが、文中に「寛文十一年辛亥東夷起つて合戦あり」と書かれていますので、必然的に寛文11年以降、すなわち1671年以降の著作ということになります。
 
とすると、日精は敬台院の意向で造仏を行い、『随宜論』を著したのですが、その頃から既に「久遠元初自受用身が即日蓮とする教義に不審を抱いていた」ことになります。
そしてその40年近く後年になっても日精は「三大秘法の時は久成釈尊を以て本尊とするなり」と述べているのです。
とすると、御影堂創建により、日蓮本尊義を確立したように思われていた日精は、実は終生の長きにわたって、実は日蓮本仏説に「甚だ不審」を抱き続けていたことになるでしょう。