気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

法華真言未分の日蓮。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて何度かTwitterやブログでも指摘したように、日蓮は初期の頃まで、法華真言未分であり、法華経真言宗をともに「正法」と考えていました。
その証拠に、事実日蓮は「法華真言」という用例を使い、法華経真言を並置して用いているのです。
 
「法華真言の用例」
 
上記の記事を見ればお分かりのように、『立正安国論』や『守護国家論』『頼基陳状』等、複数の遺文で「法華真言」という言い方をして、念仏をしています。

 
また日蓮には初期に真言に関する著作も著しています。立宗前の修学期には覚鑁の『五輪九字妙秘釈』を書写し、また『戒体即身成仏義』も著しています。
そして立教後の建長6年に日蓮は『不動愛染感見記』を著しています。これは日蓮が「大日如来より日蓮に至る廿三代、嫡々相承」「建長六年六月二十五日、日蓮新仏に授く」と書かれたもので、日蓮の真蹟が保田妙本寺に現存しています。

 
 
また堀日亨編『富士宗学要集』では第5巻に京都要法寺日辰の『祖師伝』が収録されていますが、この中で『不動愛染感見記』が保田妙本寺に存在することを記録しています。ここでは『不動愛染感見記』が「右の一紙日興日目に付属し玉ふ今房州妙本寺に在るなり」とされています。堀日亨氏はこの記述に対して何も頭注を付していませんので、『不動愛染感見記』が日蓮真蹟であることを堀日亨氏が認めていることになります。

また『聖愚問答抄』には「予も始は大日に憑みを懸けて密宗に志を寄す」と書いていて、かつて日蓮真言の徒だったことを自身が認めているのです。

 
これが真言批判に転ずるのは、文永中期以降のことです。
したがって少なくとも佐渡以前の日蓮は、まだ明確に真言批判をしていなかったことになります。日蓮比叡山覚鑁真言思想を学び、不動明王愛染明王を覚知して信仰を深めていたことになろうかと思います。