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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日目の『申状』から考える。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて前回の記事は、何度となく引用している日興の『三時弘経次第』から考える内容でした。
ところで、この日興『三時弘経次第』に見られる極端な国家主義、また本門寺構想、そして垂迹神天照大神八幡大菩薩という考え方はその後の大石寺教義のルーツになります。



それが示されているのが、大石寺第3祖日目の『申状』です。
日目の『申状』の中には、きちんと天奏において日蓮の『立正安国論』や日興の『申状』とともに、この『三時弘経次第』も添えて提出されたことが記録されているからです。
全文を引用してみましょう。



日蓮聖人の弟子日目誠惶誠恐謹んで言す。

 殊に天恩を蒙り、且つは一代説教の前後に任せ、且つは三時弘経の次第に准じて正像所弘の爾前迹門の謗法を退治し、末法当季の妙法蓮華経の正法を崇められんと請うの状。

副進
 一巻 立正安国論 祖師日蓮聖人文応元年勘文
 一通 先師日興上人申状 元徳二年
 一通 三時弘経次第
右、謹んで案内を検えたるに、一代の説教は独り釈尊の遺訓なり、取捨宜しく仏意に任すベし。三時の弘経は則ち如来の告勅なり、進退全く人力に非ず。抑、一万余宇の寺塔を建立して、恒例の講経陵夷を致さず、三千余の社壇を崇めて如在の礼奠怠懈しむることなし。然りと雖も顕教密教の護持も叶わずして、国土の災難日に随って増長し、大法秘法の祈祷も験なく、自他の反逆歳を逐うて強盛なり、神慮測られず仏意思い難し。倩(つらつら)微管を傾け聊か経文を披きたるに、仏滅後二千余年の間正像末の三時流通の程、迦葉・竜樹・天台・伝教の残したもうところの秘法三つあり、所謂法華本門の本尊と戒壇妙法蓮華経の五字となり。之を信敬せらるれば、天下の安全を致し国中の逆徒を鎮めん、此の条如来の金言分明なり、大師の解釈炳焉たり。就中我が朝は是れ神州なり、神は非礼を受けず。三界は皆仏国なり、仏は則ち謗法を誡む。然れば則ち爾前迹門の謗法を退治せらるれば、仏も慶び神も慶ぶ。法華本門の正法を立てらるれば、人も栄え国も栄えん。望み請う、殊に天恩を蒙り諸宗の悪法を棄捐せられ、一乗妙典を崇敬せらるれば、金言しかも愆(あやま)たず、妙法の唱え閻浮に絶えず、玉体恙(つつが)無くして宝祚の境ひ天地と疆(きわ)まり無けん。日目先師の地望を遂げんがために、後日の天奏に達せしむ。誠惶誠恐謹んで言す。
元弘三年十一月 日  日目花押」
(日目『申状』日蓮正宗歴代法主全書1-211〜212ページ、真蹟:保田妙本寺蔵)



以下に通解を載せてみます。



日蓮聖人の弟子である日目が、謹しんで申し上げます。殊に天皇の恩をいただき、一方には釈尊一代の説法の爾前経と法華経の説法の前後にまかせ、他方には釈尊滅後の時代区分である正法・像法・末法という三時弘経の順序によって、正法・像法時代に弘まった爾前迹門の謗法を退治し、末法衆生が救われる妙法蓮華経の正法を崇められることを、心より望み奉る状を捧げます。

副えて進呈します。
 一巻 立正安国論 先師日蓮聖人・文応元年の勘文
 一通 先師日興上人の申状
 一通 三時弘経次第

右の趣旨を謹んで述べれば、一代の説教とは独り釈尊が遺された教えです。その多くの経々を取捨選択するときは、あくまで仏意を根本としなければなりません。釈尊滅後の正像・末の三時に弘む経についても如来の告示があり、それらを人の力と思ってはなりません。

およそ仏法が伝来して今に至るまで、一万余りの寺院を建立し、仏の徳を賛嘆し、経典の講義は一向に衰えてはおりません。また、三千余りの神社を敬って、そこに神がおられると思って礼を尽くし、供物を捧げることを怠ったことはありません。しかしながら顕教密教による護持の祈祷も叶わず、国土の災難は日が経つにつれて増長しています。大法や秘法の祈りも効き目がなく、自他の叛逆は年とともに盛んになるばかりです。これでは、神の御意がどこにあるのか測ることもできず、仏の御意がいずれにあるのかもわかりません。

非才の身でありながら少々経文を開いて考えてみるにつけ、仏の滅後、二千余年が経過し、その間に正法・像法・末法の三時に流通した教えのなかで、迦葉尊者・竜樹菩薩・天台大師・伝教大師が弘めずに残された秘法が3つあります。それこそが法華本門の本尊と戒壇妙法蓮華経の五字です。今こそ、この三大秘法を信じ敬っていけば、世の中は正しく治まり、秩序を乱そうとする国内の反逆者を鎮めることができるのです。このことは仏の経典に明らかに説かれていることであり、天台大師等の解釈にも明白です。

就中、この日本国は神州、神により守護される国土です。神は非礼を受け入れません。また娑婆世界を含めた三界はみな仏国です。仏は謗法を諌めています。したがって、爾前迹門の謗法を退治するならば、仏も慶び、神も慶ばれます。法華本門の正法を立てるならば、人も栄え国も栄えるのです。願わくば、とくに天皇の恩を被り、諸宗の悪法を棄て、法華一乗の経典を崇め敬うならば、仏の金言には誤りはありません。つまり、国のいたる所で妙法蓮華経を唱えられ、玉体は健康に恵まれ、天子の政治が永遠に続いて、世の中も栄えます。

私日目は、先師の望みを遂げんがために、後日には天皇に奉上申し上げる次第です。

誠に恐れながら、謹んで申しあげます。

 元弘3年11月 日  日目花押」




と以上のような文面です。

日目の天奏の際に、日興の『三時弘経次第』がきちんと添付されているのがわかるかと思います。したがって日興『三時弘経次第』は正しく正文書であると考えるのが自然でしょう。

そしてこれを読む限り、日興の思想と同様に日目もまた日本という国を「神州」と考えており、極端な祭政一致国家を理想としているのがわかります。つまり法華経を根本にした祭政一致国家の樹立、そしてその結果として神州日本が守られ、玉体(天皇の身体)は守られるという考え方が日蓮、日興、日目と継承されていることがよくわかるかと思います。




以前の記事「日蓮の思想を考えると」(https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2021/02/21/080309も書きましたが、大要以下のようにまとめて述べました。




1、日蓮は大前提として日本古来の神道を深く信奉しており、天照大神八幡大菩薩の加護を深く信じていた。


2日蓮は国家の奉じる宗教に法華経を用いるべしと考えており、かつて比叡山が国家権力と結びついたのと同様に、自身が国家に重用されて加持祈祷を行うべきだと考えていた。したがって「折伏」とは国家権力としての「賢王」が行う行為であり、僧侶となって法を弘持するのは僧である日蓮の役目となる。



つまり日目の思想にも、日興の『三時弘経次第』の内容はきちんと踏襲されており、日蓮や日興における天奏とは、本来この国体の護持と祭政一致国家の樹立という観点から為されたものであったということです。