気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

池田香峯子の発言力。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回の記事はいつもと趣向を変えまして、あまり裏が取れていないこと、従いまして確実なこととは断言できないのですが、信濃町周辺の方々、また本部職員や幹部の人たちの証言を聞くうちに私の中で類推するに至った、奇妙な「池田大作と池田香峯子との齟齬」を書いてみたいと思います。
まずは池田氏の三人の子息について書いてみましょう。



長男:池田博
慶応大学卒。関西創価高校の同級生と結婚。一時父親との関係が希薄になるが、次男・城久の逝去をきっかけに東京に呼び戻され、副会長・副理事長に就任する。その後、夫人とは離婚している。子息はいない。


次男:池田城
体格・風貌ともに池田大作氏とよく似ていたと言われる。暁星小学校千代田区カトリック系)、成蹊中学校・成蹊高校(安倍晋三と同期)の後、創価大学に3期生として入学。大学院修士課程を終えた後、創価大学職員になる。創価大学の同期には正木正明氏らがいる。1984年、29歳の若さで胃穿孔のため亡くなる。
城久氏には妻・Mとの間に一男一女がいる。長男はTといい、八王子で一時期、区男子部長をしていた。夫人のM(創価大学元理事長・田代康則の娘)と2005年結婚。子息はいない。
長女はT。


三男:池田尊弘
慶応大学卒業後、創価大学教育学部に学士入学し、教員免許を取得。創価学会副男子部長、副青年部長等を歴任し、長男とともに副会長に就任。第一庶務局次長を務める。子息はいない。



以上のことをまず頭に入れて、以下のことをお読みいただければと思います。いずれも信濃町関係者からの証言をもとに構成されたものに過ぎず、完全なる客観性を担保し得ないことを書き添えておきます。



1、池田大作は長男の博正氏との関係は比較的希薄であり、どちらかと言えば次男の城久氏を重要視していた。


2、次男の池田城久の死後、池田大作は城久の母校である創価大学、特に3期生を重用するようになる。
具体的に言うと正木正明創価大学3期生)の理事長就任である。また城久氏の息子T氏は創価大学元理事長の田代康則(創価大学3期生)の娘Mと2005年に池田大作からの紹介で結婚している。このことはT氏本人が八王子の幹部時代に幹部指導で発言していたことがある。
創価大学の1期生と2期生の時、学内に教職員組合が構成され、池田大作の来学を快く思わない教授が少なからず存在し、池田大作は入学式にも参加していない。3期生に至って初めて池田大作創価大学に公式に訪問することができるようになった。そのことから創価大学3期生を池田大作自身、特別視する風潮が当時できつつあった。


3、正木正明の理事長就任は、原田会長就任と同時期の2006年11月9日であり、この時は池田大作が本部幹部会に同席していた。席上、池田は原田稔正木正明を立たせて「良い会長、良い理事長になった」と喜んでいたことを個人的に記憶している。


4、池田大作が本部幹部会に姿を表さなくなった頃、2015年11月17日、聖教新聞紙上で原田稔会長の再任が発表されたが、理事長は正木正明から長谷川重夫に変わった。正木正明は「体調不良」を理由に理事長を辞任したとされ、その後は参議会副議長に就任して表舞台からは姿を消すことになる。


5、池田大作の長男・博正を重要視していたのは、池田大作ではなくむしろ夫人の池田香峯子の方である。次男の城久は池田大作によく似ているのに対して、長男の博正は母親似である。父親との関係が希薄になっていた長男の博正を信濃町に呼び戻すほどの発言力を有する人物は香峯子以外に思い当たらない。


6、池田香峯子は、本名を「白木かね」と言い、戸田城聖時代の創価学会にあって、戦前から日蓮正宗の信徒であった名門・白木家の生まれである。彼女の父は白木薫次といい、砂糖取引会社の常務で、創価学会理事まで勤めたかつての最高幹部である。また大阪選挙区で当選した白木義一郎は彼女の従兄弟にあたる。


7、池田大作の影響力が信濃町に及ばなくなっていった2010年以降、創価大学出身者の最高幹部登用は減少し、代わりに谷川佳樹らのような東京大学閥が強まるようになってきた。


8、1990年代以降、池田大作と並び、夫人の池田香峯子も勲章を受賞する傾向が強まりつつあり、発言力が強まっていったという証言を信濃町関連の職員、幹部から複数得ている。



上記のような事情から、現在の創価学会は2010年頃に脳梗塞等のなんらかの後遺症で言語や認知能力に障害を持ったとされる池田大作にかわって、徐々に2010年以降、池田香峯子と東京大学閥の発言力が増している現状があると個人的には考えています。