いつもみなさん、ありがとうございます。
さて、私は教義的に小難しいこともこのブログで書きますが、その場合は「明確に」「わかりやすく」「文献的な根拠をあげて」「なるべく簡潔に」書くように心がけています。
しかし教学に関しては、きちんと根拠もあげ、議論に客観性を持たせるようにしています。
で、文献的な根拠を挙げて質問しようものなら、「秘すべし秘すべし」とか「私は御法主上人猊下に信伏随従します」とか「貴方は誰の教えを受けて法華経を学ぶのか」等、なぜか大抵は上から目線で論点を逸らすばかりしかできなくなるんですね。
私が信用する友人たちは、皆、教学に深い造詣を持っています。だいたい私の父がそうでした。そして彼らの話はどこをとっても「わかりやすい」のです。
ですから「話がわかりにくい」「神秘主義的な話で人を煙に巻くだけ」「教義的な根拠を示さない」「何を言っているのかわからない」人を私は基本信用しません。
教学的に深い学びをされている方ほど、話は明確でわかりやすいものです。
それがなく、論拠も示すことができず、教条主義的な解釈で、自身の妄信を他者に強要することしかできないような信徒は、返って自分たちの話が教学的な論拠に乏しく、教義的な研鑽が浅はかであることを暴露しているに等しいのだと思っています。そしてそういう人たちほど、自分たちの教義の浅薄さに無自覚であったりします。