気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

教団専属職員の存在意義。





いつもみなさん、ありがとうございます。



ところで、現在の信濃町創価学会本部には、本部職員が存在します。本部職員とは言わば教団の専属職員といったところでしょう。
一抹の疑問なのですが、そもそも宗教団体専属の教団職員とは、一体何のために必要なのでしょう。



一般的に宗教法人の教団職員の仕事と言えば、普通は儀式の執行であったり、教学の解説や会員への説明であったり、また教団施設や墓地や納骨堂等の管理等が、その仕事として考えられます。



創価学会の本部職員には、儀式の執行はあまり期待されていない気がします。そもそも「儀典部」は地域の壮年幹部が多く取り仕切っていまして、別段信濃町から無理に職員が出向しなくても間に合っている状態です。
また教学の解説や講義等に関しても、地域にいる古参の幹部の方が信濃町職員より、よっぽど教学に詳しい場合が少なくありません。信濃町の本部職員は大抵選挙の際に、大きな会合で皆を扇動して選挙活動に向かわせるような話をするのが好きなようですが、教学となると全然ダメで、せいぜい聖教新聞大白蓮華の御書の解説くらいの知識しかありません。



となると、現在の信濃町の本部職員で役立つ仕事と言えば、せいぜい会館や墓苑、創価学会関連施設の管理業務くらいしか必要ないのかと思います。私の知り合いで信濃町の本部職員も少なからずいますが、せいぜいこのブログを書く時に会内や本部の情報をリークしてもらうくらいで、彼らから教学を教わることはほとんどありません。



かつて平成に入って宗創紛争が起こった時、創価学会大石寺宗門も含めて伝統仏教の教団を「葬式仏教」として批判していました。
そんな創価学会の専属職員がなんら教義を語れず、「創価ルネサンス」という言葉も有名無実になり、施設や納骨堂の管理くらいしかできないなら、単なる組織維持の新興宗教団体と言われても仕方ないのではないでしょうか。



選挙の戦いを煽る指導をやたら信濃町幹部はやりたがりますが、選挙はそもそも宗教活動ではないと思います。まあ、教団の永遠の指導者とされる池田大作氏が、かつて総務時代に教団内部の実権を掌握したのが、相次ぐ選挙戦での勝利だったことを考えれば、彼らは純粋に名誉会長に随順して活動されているのかもしれません。



大石寺にも偽作教義しかなく、さらにはそこから離れた創価学会に残された教団職員も教学が語れない人ばかりになってしまったとすれば、もはやその宗教法人の存在意義など失われてしまっていると思います。残った教団組織は創価学会にせよ大石寺にせよ、ひたすら延命を図って緩慢な衰退まで引き伸ばされるだけの運命なのかもしれませんね。