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創価学会の非活メンバーによる語り

興門派の持ち回り管長。

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いつもみなさん、ありがとうございます。
最近はわずか一週間で3万近いアクセス数があり、本当に驚いています。読んで頂いている皆さんに、改めて感謝申し上げます。



さて今回は明治9年に発足した興門唱導会(日蓮宗興門派、本門宗)についてです。


そもそも歴史的に「日蓮正宗」という宗派は存在していませんでした。本来存在していたのは、単なる興門流八本山であり、大石寺はその大本山扱いであったに過ぎません。


日蓮宗興門派としての大石寺


冒頭1枚目の画像を見て頂きたいと思いますが、これは大石寺56世日応の明治23年1月の文書です(富士宮某家所蔵)。
注目すべきは大石寺法主本人が末尾に「大本山大石寺」と書いていることです。従いまして、この頃、大石寺は「総本山」ではなく、他の諸山とともに一宗派を形成する一本山に過ぎなかったということです。



さてこの日蓮宗興門派の管長は明治9年以降、各山の持ち回り制となっていました。
大石寺も当時はこれらの諸山と連携して一宗派を形成していました。列記してみましょう。これらの記録は大石寺の富士年表にもきちんと記録されています。



1876年2月23日、釈日貫(臨時、京都要法寺
1876年4月6日、釈日貫(京都要法寺
1879年5月30日、大井日完(伊豆実成寺
1880年5月14日、堀日善(下条妙蓮寺)
1881年5月16日、下山日布(富士大石寺
1882年4月27日、寿日顗(西山本門寺
1883年9月31日、富士日霊(小泉久遠寺
1884年12月、天野日観(北山本門寺
1885年11月13日、高橋日恩(西山本門寺
1887年4月29日、天野日観(北山本門寺
1888年4月13日、富士日勧(保田妙本寺
1888年11月5日、富士日霊(小泉久遠寺
1889年4月6日、稲葉日隠(下条妙蓮寺)
1890年4月8日、大井日住(伊豆実成寺
1891年4月7日、大石日応(富士大石寺
1892年4月7日、坂本日珠(京都要法寺
1893年4月24日、妙高日海(小泉久遠寺
1894年5月1日、寿日顗(西山本門寺
1895年8月21日、富士日霊(小泉久遠寺
1896年6月10日、芦名日善(北山本門寺
1897年4月8日、稲葉日隠(下条妙蓮寺)
1898年4月2日、大井日住(伊豆実成寺


冒頭2枚目の画像は北山本門寺39世・興門派20代目管長の芦名日善の書写曼荼羅の署名です(北山本門寺檀徒所蔵)が、このような他山の曼荼羅大石寺は「ニセ本尊」と称してはいませんでした。
そして大石寺55世下山日布、56世大石日応もまたきちんと持ち回りで、日蓮宗興門派の管長に就任しているのは、史実に明らかです。
つまり大石寺は、京都要法寺北山本門寺伊豆実成寺などとともに一つの宗派を形成していたのであり、大石寺は歴史的にこれらの諸山と与同していたことになろうかと思います。