いつもみなさん、ありがとうございます。
まあ「念仏無間地獄」なんて言って、悪口三昧の非難をしてきたので、今さら念仏なんて肯定的に見られないのかもしれません。
創価学会の活動家さんは、多くが「自力を諦めて他力にすがって生きるのが念仏」のような考えを持っているのではないでしょうか。
きちんと文献を読んで批判しているようには思えません。
法然が生きていた当時は、「自力」の行為である呪術に頼るのが当たり前の時代でした。病気になればまじないをしたのです。
法然は、次のように述べています。
「宿業限り有て受くべからん病は、いかなるもろもろの仏神に祈るとも、其れに依るまじき事也。祈るに依て病も止み、命も延る事あらば、誰かは一人としてやみしぬる人あらん。況や又仏の御力は、念仏を信ずるものをば、転重軽受と云ひて、宿業限り有りて、重く受くべき病を、軽く受けさせ給ふ。況や非業を払ひ給はん事ましまさざらんや。されば念仏を信ずる人は、縦ひ何なら病を受くれども、皆是宿業也。」
(法然『浄土宗略抄』より「鎌倉二位の禅尼へ進ぜられし書」)
法然は宿業による病に関して、それが前世の因縁による病なのであれば、神や仏に祈ることは意味がないと考えました。祈ることで病が治るのなら、誰が病んで死ぬのかということまで述べているんですね。
ここで法然は「転重軽受」の法門を述べ、仏は念仏を信ずる者の病を軽くする力があって、宿業以外の病気には罹らなくなるというのです。
事実、法然は自身が病気になった時は唐から取り寄せた薬を飲み、医師の診察を受けたりしています。また文献からは法然が自分の病気平癒のために神仏に祈祷をした記録は残されていません。「転重軽受」は本来涅槃経の語であり、別に日蓮系教団だけに特化した教義ではありません。
ところが、法然は他人から頼まれた時はそうではなく、きちんと他者の病気平癒のための祈祷、すなわち「自力」を行なっています。具体的には、時の権力者である関白九条兼実は法然に深く帰依していましたが、法然の授戒を高く評価していまして度々彼を招いていたことが知られています。『玉葉』正治2年9月30日条によるなら、天台僧成円とともに法然を呼び寄せ、妻の病気を治す祈祷をさせています。
兼実は法然に帰依している弟子にあたります。それが「自力」を法然に求め、法然はそれに応えているのです。法然は確かに思想としては「他力」を考えていましたが、弟子たちが「自力」を根本に祈祷をするのを批判した跡はありません。
ここからもわかるように、『十住毘婆沙論』における「難行道」「易行道」も、どちらかがどちらを否定するのではなく、どちらも仏教者の態度して認めているということであり、法然はあえて「他力」を選んでいますが、「自力」を望むものを決して否定はしていなかったということになります。
「仏法に無量の門あり」
念仏は他力ですが、自力は否定されていないのです。ともに立場の相違を越えて互いに尊敬し合えること、そのことを法然と兼実らのような弟子たちとの関係は物語っていると思います。
「自力と他力と。」
参考文献