気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

左京日教による大石寺法主の権威化。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて先日の記事で、「法主」という語が本来は「宗祖日蓮」を指す言葉であったことを書きました。『竜泉寺申状』でも日蓮は「法主」と呼ばれていまして、元来「法主」に「大石寺貫主」という意味はなかったのです。



その「法主」が次第に「大石寺代々の血脈付法の貫主」という意味に変わっていくのは、大石寺9世日有の影響が強いのですが、大石寺12世日鎮以降、その教義を強めたのは、日有門弟の左京日教(1428〜?)であると私は考えています。



日有に師事する前、まだ要法寺系の「本是院日叶」だった頃の左京日教は『百五十箇条』で「当門流に大聖人以来は日興を以て・法主とせり・是も元意の本尊なり」(富士宗学要集2-182ページ)と述べていまして、彼は「宗祖日蓮」とともに「日興」が「法主」であるという立場に立っていました。



ところが、大石寺日有に師事して以降の左京日教は、次第に「法主」の意味を「大石寺代々の貫主」であると拡大解釈し、徐々に代々の法主を権威化するようになっていきます。



「本門の教主は御本尊にて御座すなり、是に能具所具あり当代の法主の所にて習ふ可きなり」
(日教『穆佐抄』富士宗学要集2-256ページ)



「然るに日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ギ其ノ次ギに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、此ノ法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまふ故に」
(日教『類聚翰集私』同2-309ページ)



「計り知りぬ持経者は又当代の法主に値ひ奉る時・本仏に値ふなり、成仏難からず只知識に値ヒて此経を持つ処が聖人の如く本仏に値ふなり」
(日教『類聚翰集私』同2-329ページ)

f:id:watabeshinjun:20210822101552j:plain



左京日教の上記引用文を読めばわかるように、代々の「大石寺貫主」を「法主」と呼び、更には「此ノ法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまふ」と、大石寺貫主法主が「日蓮の生まれ変わり」とまで権威化するようになります。『穆佐抄』(文明16年、1484年)も『類聚翰集私』(長享2年、1488年)もともに日教が大石寺日有に師事して以降の著述です。



このように、日有の門弟となった左京日教は、日有没後(文明14年、1482年)に師の日有の影響からか次第に大石寺代々の貫主を権威化、その位置を宗祖日蓮、本仏にまで高め、現在の大石寺の教義の基礎を構成するようになったと考えられます。



参考文献
小林正博「法主絶対論の形成とその批判」『東洋学術研究』131号、東洋哲学研究所、1993年