気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

法主聖人御神殿とは。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は御影堂と御影の教義についてです。
私の見解としては、大石寺創建当時、大石寺に御影堂は存在せず、正和5〜6年頃(1315〜1316年)に重須談所(北山本門寺)に作られたものと考えています。現在の大石寺の公式な見解では御影堂は大石寺18世日精によって寛永9年(1632年)に「再建された」としていますが、そもそも日精建立以前に大石寺に御影堂が存在したとする根拠は存在しないのです。以下のブログにはそのことを書きました。
 
「御影堂は日興により重須に建立された」
 
さて今回は日興の書状を紹介します。
内容は大石寺4世日道が日興に神馬を供養し、そのことを喜んだ日興が日蓮御影に備えることが書かれた『弁阿闍梨御返事』です。日興真蹟は大石寺に現存します(『日興上人全集』182ページ、真蹟写真528ページ、興風談所、平成8年)。

「御神馬一疋用途三貫□令進給御状法主聖人御神殿奉備進候了。恐々謹言。
             □□
□□□□
謹上 弁阿□□御房御返事」

 
ここでは弁阿闍梨日道が神馬を給仕することとなり、それを日興が「法主聖人」の「御神殿」に供えることを述べています。
法主聖人」とは日蓮御影のことです。
それならなぜ「御影堂」ではなく「御神殿」なのでしょうか。
この書状は年代が不明ですが、真蹟は大石寺に現存しています。さらには日道は大石寺4世です。
とするなら、神馬は大石寺に連れてこられたことになりますが、もし仮に日蓮御影が祀られる「御影堂」が大石寺に現存したなら「御影堂」と書くはずです。事実日興写本の『開目抄要文』では「御影堂」と書かれています。
それを「御影」と書かずに「法主聖人」と書き、また「御影堂」ではなく「御神殿」と書くなら、日興の在世中には少なくとも大石寺に御影堂はなかったことになるでしょう。
 
 
余談ながら、日蓮御影=法主聖人が祀られる場所を「御神殿」と称する、当時の大石寺の教義も非常に気になるところではあります。つまり日興在世中に日蓮を本仏ではなく「神」と同格とする考え方が当時の大石寺に、少なくとも日興の思想で存在したことになります。