いつもみなさん、ありがとうございます。
具体的に例を挙げてみましょう。例えば『滝泉寺申状』(前半部日蓮筆)です。
「法主聖人・時を知り国を知り機を知り君の為臣の為神の為仏の為災難を対治せらる可きの由・勘え申すと雖も御信用無きの上・剰え謗法人の讒言に依つて聖人・頭に疵を負い左手を打ち折らるる上・両度まで遠流の責を蒙り門弟等所所に射殺され切り殺され毒害・刃傷・禁獄・流罪・打擲・擯出・罵詈等の大難勝げて計う可からず」
(『滝泉寺申状』創価学会版御書850〜851ページ)
次に『本因妙抄』(偽書説)を挙げてみましょう。
「然りと雖も仏は熟脱の教主・某は下種の法主なり」
(『本因妙抄』同874ページ)
次に重須・三位日順の『日順阿闍梨血脈』をみてみましょう。
「此の師亦た法主の佳例に准望して六人の名言を授与す」
日興門流以外ではどうなのでしょう。例えば六老僧の一人、日昭の『経釈抄要文』の末尾を見ると「法主聖人七回師恩報謝」(日蓮宗宗学全書1-7ページ)と書かれていて、日昭もまた師の日蓮を「法主聖人」と呼んでいたことがわかります。
それが大石寺教義の確立過程の中で、「法主」が「日蓮」ではなく「代々の血脈付法の上人」とされるようになります。この教義の確立には、少なからず大石寺9世日有と左京日教の影響があるように思いますが、それについてはまた別稿を考えたいと思います。
参考文献