気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「法主」とは本来「宗祖日蓮」を指す用語だった。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮正宗大石寺では「法主」と言えば、血脈相承を受けた代々の嫡々付法の管長のことを指します。
ところで、元々この「法主」という語は、代々の管長ではなくて、「宗祖日蓮」のことを指す用語だったのです。



具体的に例を挙げてみましょう。例えば『滝泉寺申状』(前半部日蓮筆)です。


法主聖人・時を知り国を知り機を知り君の為臣の為神の為仏の為災難を対治せらる可きの由・勘え申すと雖も御信用無きの上・剰え謗法人の讒言に依つて聖人・頭に疵を負い左手を打ち折らるる上・両度まで遠流の責を蒙り門弟等所所に射殺され切り殺され毒害・刃傷・禁獄・流罪・打擲・擯出・罵詈等の大難勝げて計う可からず」
(『滝泉寺申状』創価学会版御書850〜851ページ)


法主聖人」が小松原の法難を受け、頭に傷を負ったり、二度に渡り流罪されたことも書かれていますから、ここでの「法主」とは疑いなく「日蓮」のことです。

次に『本因妙抄』(偽書説)を挙げてみましょう。


「然りと雖も仏は熟脱の教主・某は下種の法主なり」
(『本因妙抄』同874ページ)



『本因妙抄』は偽書説の可能性の高い遺文ですが、ここでは「某」(日蓮自身)が「法主」と書かれています。

次に重須・三位日順の『日順阿闍梨血脈』をみてみましょう。



「此の師亦た法主の佳例に准望して六人の名言を授与す」
(日順『日順阿闍梨血脈』富士宗学要集2-22ページ)



日順の師匠である日興が「法主日蓮」の先例に倣って、六人の弟子を定めたことが書かれています。ここでも「法主」は「日蓮本人」のことを指しています。
同じく日順の『用心抄』でも法主聖人の五品鈔を見るに三学の廃立を明して」(同18ページ)と書かれていますから、「法主聖人」とは間違いなく「日蓮」のことだとわかります。



日興門流以外ではどうなのでしょう。例えば六老僧の一人、日昭の『経釈抄要文』の末尾を見ると法主聖人七回師恩報謝」(日蓮宗宗学全書1-7ページ)と書かれていて、日昭もまた師の日蓮を「法主聖人」と呼んでいたことがわかります。

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このように「法主」という語は「宗祖日蓮」だけを指す言葉として本来使われていました。実際『日興遺誡置文』(『二十六箇条』)でも管長のことは「法主」と呼ばずに「貫主」としています。
それが大石寺教義の確立過程の中で、「法主」が「日蓮」ではなく「代々の血脈付法の上人」とされるようになります。この教義の確立には、少なからず大石寺9世日有と左京日教の影響があるように思いますが、それについてはまた別稿を考えたいと思います。




参考文献
小林正博「法主絶対論の形成とその批判」『東洋学術研究』131号、東洋哲学研究所、1993年