いつもみなさん、ありがとうございます。
「『百六箇抄』の問題点①「経巻相承」」
「『百六箇抄』の問題点②「男尊女卑思想」」
「『百六箇抄』の問題点③史実との不整合」
ですから『百六箇抄』を大石寺だけが血脈を受けた論拠として用いるのは矛盾していまして、根拠薄弱になってしまうんですね。
それでは大石寺18世了玄日精の『家中抄』から引用してみましょう。画像も併せてご覧ください。
「然るに日興一百六箇本迹血脈書を以て日尊に付属して云く、右件の口決結要の血脈は聖人出世の本懐、衆生成仏の直路なり」
(日精『富士門家中見聞下』富士宗学要集5-228ページ)
(日精『富士門家中見聞上』同170〜171ページ)
大石寺の歴代法主である筈の日精が、要法寺の日尊に『百六箇抄』が相伝されていたことをきちんと認めています。そして大石寺堀日亨はこのことに関して訂正や頭注を全く付していません(既にお読みになられた方ならおわかりのことですが、堀日亨は『富士宗学要集』に収録された諸抄に史実と異なる文やまたその疑いがあれば、必ず注記を付けて読者に注意を促しています)。