気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日興には「血脈」という教義は存在しない。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて日蓮真蹟遺文には「血脈」の用例が1箇所も存在しません。したがって「血脈」はそもそも日蓮の教義でない可能性が高いことになります。
 
「『生死一大事血脈抄』は後世の偽作である。」
 
「『立正観抄』では「妙法の一言」以外の血脈相承は否定されている。」
 
それでは大石寺開山である、日興はどうだったのでしょうか。日興には「血脈」の用例はあるのか、またあるとすればどのように使われているのでしょうか。
私が確認したところ、日興による「血脈」の用例は以下の3つしか存在しません。
 
 
『仏法相承血脈譜等雑録』(日興真蹟現存、大石寺蔵)
『日興譲状』(日興真蹟不存)
『百六箇抄奥書』(日興真蹟不存、京都要法寺日辰写本)
 
したがって確実な日興真蹟による「血脈」の用例は『仏法相承血脈譜等雑録』の1箇所しか存在しません。
しかも同抄で述べられている「血脈」は単に最澄の『内証仏法相承血脈譜』の文を冒頭で引用するため、その書名として挙げただけで、別に血脈そのものを説明などしていないのです。
 
次の『日興譲状』には確かに「高祖已来血脈日興給所也」や「於本御影堂唯授一人相伝」と書かれているのですが、この書は偽書の可能性が高く、もしもこれが日興の真蹟であると仮定するなら唯授一人の血脈相承は北山本門寺の御影堂にて行われたことになってしまいます。また日興が給わるところの血脈が譲り渡されたのは北山本門寺2世の日妙になってしまいます。以下でご確認ください(『日興上人全集』338ページ、興風談所、平成8年)。

 
さて最後の『百六箇抄奥書』は、偽書の疑いの強い『百六箇抄』の最後に記された言葉です。
ところが、この血脈は文末で日興から京都要法寺の日尊に示されたものとされます。とするなら日興の血脈は京都要法寺に伝わったことになってしまうのです(同341ページ)。

 
そしてこの3編以外に日興が「血脈」の語を使った例は存在しません。日興には血脈という教義が存在しないのです。
したがって「血脈」という教義は日蓮とも日興とも何の関係もない教義であることになるかと思います。
 
 
 
追記
既にブログで何度となく書いていますが、『二箇相承』も後世の偽作です。
 
「『二箇相承』のこと」
 
「『二箇相承』と『宗祖御遷化記録』との矛盾」
 
「二箇相承の不自然な読み下し」
 
「『二箇相承』写本の誤字」
 
「『二箇相承』の矛盾」
 
「『本尊得意抄副書』と『常修院本尊聖教事』との間の矛盾」
 
「様々な付属状」