いつもみなさん、ありがとうございます。
「『御義口伝』における『科註』の『補註』への改竄」
「『新池御書』は偽書てある」
「『一生成仏抄』は偽書である」
「建治2年6月27日説の『四条金吾殿御返事』は後世の偽作の可能性が高い」
「『経王殿御返事』は偽書である」
「金剛宝器戒と『教行証御書』について」
「『生死一大事血脈抄』は後世の偽作である」
「『諸法実相抄』は後世の偽作」
「『寂日坊御書』は偽書である」
「最蓮房宛の日蓮遺文について」
日蓮遺文については、日蓮の死後に遺文の略奪、偽作等が行われたことは諸文献からも明らかで、遺文を読むにあたり、その真偽を確かめなければならないのです。もちろん真蹟が不存なことが直ちに「偽作」を決定する証拠にはなり得ませんが、古写本も言及も存在せず、初出が鎌倉時代でないなら、その信用性は非常に低いことになるでしょう。
ところで、そのような話をSNSですると、創価学会や日蓮正宗系の一部の信者から「それなら偽作者は誰なのか?」「偽書だと言うなら偽作者名を挙げるべきだ」と反発する人たちがいます。彼らはどうしても自分たちの信じてきた日蓮遺文、とりわけ『御義口伝』や『生死一大事血脈抄』等を真蹟扱いにしておきたいのでしょう。
「偽作者が誰かわからないから、偽作とは言えない」というのは、子どものような言い訳ですが(笑)、それなら創価・大石寺系の遺文集に未収録な次の二つの遺文は「偽作者がわからないから真蹟」と言えるのでしょうか?
1、『波木井殿御書』
「其の後身延山へ分け入つて山中に居し、法華経を昼夜読誦し奉り候へば、三世の諸仏十方の諸仏菩薩も、此の砌におはすらむ。釈迦仏は霊山に居して八箇年法華経を説き給ふ。日蓮は身延山に居して九箇年の読誦なり。伝教大師は比叡山に居して三十餘年の法華経の行者なり。然りと雖も、彼の山は濁れる山なり。我が此の山は天竺の霊山にも勝れ、日域の比叡山にも勝れたり。然れば吹く風も、ゆるぐ木草も、流るる水の音までも、此の山には妙法の五字を唱へずと云ふ事なし。日蓮が弟子檀那等は、此の山を本として参るべし。此則ち霊山の契りなり。此の山に入りて九箇年なり。仏滅後二千二百三十餘年なり。」
(『波木井殿御書』昭和新修日蓮聖人遺文全集2008ページ)
『波木井殿御書』は真蹟不存・古写本不存で、創価学会版御書全集には未収録のものです。
読めばわかる通り、ここでは身延山を日蓮が9年間法華経を説いた故に「天竺の霊山にも勝れ」「此の山を本として参るべし」としています。この遺文が偽作でないとするなら「身延山を本山」としない門流は全て日蓮の意志に背くことになってしまいます。
2、『日朗御譲状』
(『日朗御譲状』同2002ページ)
『日朗御譲状』も真蹟は不存です。この御書を「偽作者が誰かわからない故に偽作とは言えない」とするなら、日蓮の真の後継者は日朗一人になってしまいます。