気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日蓮遺文の真偽を検証しないならば。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて私はこのブログで、日蓮遺文中でも特に偽書の可能性が高いものをいくつか紹介しています。
 
「『御義口伝』における『科註』の『補註』への改竄」
 
「『新池御書』は偽書てある」
 
「『一生成仏抄』は偽書である」
 
「建治2年6月27日説の『四条金吾殿御返事』は後世の偽作の可能性が高い」
 
「『経王殿御返事』は偽書である」
 
「金剛宝器戒と『教行証御書』について」
 
「『生死一大事血脈抄』は後世の偽作である」
 
「『諸法実相抄』は後世の偽作」
 
「『寂日坊御書』は偽書である」
 
「最蓮房宛の日蓮遺文について」
 
日蓮遺文については、日蓮の死後に遺文の略奪、偽作等が行われたことは諸文献からも明らかで、遺文を読むにあたり、その真偽を確かめなければならないのです。もちろん真蹟が不存なことが直ちに「偽作」を決定する証拠にはなり得ませんが、古写本も言及も存在せず、初出が鎌倉時代でないなら、その信用性は非常に低いことになるでしょう。
 
ところで、そのような話をSNSですると、創価学会日蓮正宗系の一部の信者から「それなら偽作者は誰なのか?」「偽書だと言うなら偽作者名を挙げるべきだ」と反発する人たちがいます。彼らはどうしても自分たちの信じてきた日蓮遺文、とりわけ『御義口伝』や『生死一大事血脈抄』等を真蹟扱いにしておきたいのでしょう。
「偽作者が誰かわからないから、偽作とは言えない」というのは、子どものような言い訳ですが(笑)、それなら創価大石寺系の遺文集に未収録な次の二つの遺文は「偽作者がわからないから真蹟」と言えるのでしょうか?
 
 
1、『波木井殿御書』
 
「其の後身延山へ分け入つて山中に居し、法華経を昼夜読誦し奉り候へば、三世の諸仏十方の諸仏菩薩も、此の砌におはすらむ。釈迦仏は霊山に居して八箇年法華経を説き給ふ。日蓮身延山に居して九箇年の読誦なり。伝教大師比叡山に居して三十餘年の法華経の行者なり。然りと雖も、彼の山は濁れる山なり。我が此の山は天竺の霊山にも勝れ、日域の比叡山にも勝れたり。然れば吹く風も、ゆるぐ木草も、流るる水の音までも、此の山には妙法の五字を唱へずと云ふ事なし。日蓮が弟子檀那等は、此の山を本として参るべし。此則ち霊山の契りなり。此の山に入りて九箇年なり。仏滅後二千二百三十餘年なり。」
(『波木井殿御書』昭和新修日蓮聖人遺文全集2008ページ)

 
『波木井殿御書』は真蹟不存・古写本不存で、創価学会版御書全集には未収録のものです。
読めばわかる通り、ここでは身延山日蓮が9年間法華経を説いた故に「天竺の霊山にも勝れ」「此の山を本として参るべし」としています。この遺文が偽作でないとするなら「身延山を本山」としない門流は全て日蓮の意志に背くことになってしまいます。
 
 
2、『日朗御譲状』
 
「本迹殊なりと雖も不思議一なり。これ此の経一部の正意なり、亦これ如来第一の実説なり。釈尊一代の深理も亦日蓮一期の功徳も残る所なく、悉く日朗に付嘱する所なり」
(『日朗御譲状』同2002ページ)

 
『日朗御譲状』も真蹟は不存です。この御書を「偽作者が誰かわからない故に偽作とは言えない」とするなら、日蓮の真の後継者は日朗一人になってしまいます。
 
今回は上記の二つのみを挙げましたが、日蓮遺文に後世の偽作が含まれることは明らかなことなのであり、その真偽をきちんと検証して読むことをしなければ、返って日蓮の真意を歪曲することになりかねないのです。
偽作の疑いの強いものばかりを有り難がり、真蹟からその思想の対照もせずに、日蓮の思想でも何でもないものを日蓮の思想だと偽る行為は、結果として日蓮に背くことになるでしょう。