気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『生死一大事血脈抄』は後世の偽作である。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
 
今回は『生死一大事血脈抄』が偽作であることについてです。
 
 
 
生死一大事血脈抄』は、創価学会信者および日蓮正宗信者さんがよく読まれる遺文の一つです。しかしながらこれは後世の偽書の可能性が非常に高い遺文なのです。
 
 
創価学会はとりわけ大石寺から破門されて後、この『生死一大事血脈抄』を多用しました。つまり会員信徒が「自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」の部分を用いて(創価学会旧版御書全集1337ページ)、自分たち創価学会信徒が団結することが「血脈」であると強調するようになります。

 
まあ、教団がどんな教義をどのように解釈しても自由なのかもしれませんが、実はこの『生死一大事血脈抄』はほぼ偽書で間違いありません。理由は主に3つあります。
 
 
1、真蹟、古写本が全く存在しない。
 
まず『生死一大事血脈抄』には日蓮真蹟が存在しません。かつて存在していたとするような記録さえありません。古写本も存在していません。そもそも最蓮房宛と言われる諸抄は真蹟が存在しておらず、その信憑性には古来より疑義が呈されているのです。
 
「最蓮房宛の日蓮遺文について」
 
 
 
2、『生死一大事血脈抄』の初出は録外御書からで、室町時代の15世紀以降のこと。
 
 
当然ながら『生死一大事血脈抄』は録内に収められていません。その後、録外蒐集の際に、身延山の行学院日朝(1422〜1500)が筆写した録外御書百通が身延山の宝蔵に現存していまして、この中に初めて『生死一大事血脈抄』の名が出てきます。以下の画像は浅井要麟編『昭和新修日蓮聖人遺文全集』別巻収録のものです(3-397〜399ページ)。

 
室町時代までその存在を知られていなかった御書が突然出てくるのであり、その信憑性は非常に低いと言わざるを得ないでしょう。しかも真蹟も古写本も存在しないのですから。
 
 
 
3、「血脈」の語は日蓮真蹟には用いられない用語である。
 
 
実は日蓮が真蹟遺文中で「血脈」という語を使ったことは一度もありません。「血脈」の語は全て日蓮真蹟の存在しない、偽書説の可能性が高いものにしか出てこない語なのです。
具体的にあげてみましょう。「血脈」という語が使われる御書は以下の通りです。
 
 
『立正観抄』
『立正観抄送状』
『百六箇抄』
『本因妙抄』
『授職灌頂口伝抄』
法華宗内證仏法血脈』
『二箇相承』
 
 
上にあげた御書には全て「血脈」の語が出てきます。これら全ての御書には日蓮真蹟は存在しません。これ以外に日蓮真蹟遺文中に「血脈」が書かれた例は存在しないと思います。このうち、『授職灌頂口伝抄』『法華宗内證仏法血脈』は創価学会版の御書には収録されていません。
つまり「血脈」という語を日蓮が使ったことはないのです。『開目抄』にも『観心本尊抄』にも『立正安国論』にも「血脈」などという語が使われたことはありません。日蓮真蹟に存在しない以上、それは日蓮の教義ではないのです。
 
 
 
創価学会日蓮正宗の信者さんは、いい加減に目を覚まして現実を見るべきかと思います。当たり前のことですが、「血脈」は日蓮の教義ではないのです。そしてその血脈という語が多用される時点で『生死一大事血脈抄』は日蓮の述作とは呼べないのです。