いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は日蓮の「四箇の格言」について考えてみたいと思います。
日蓮の「四箇の格言」とは「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」という四つの他宗批判を日蓮遺文中から選び出し、後世の何ものかによって「四箇の格言」と名付けられたものです。事実として「四箇の格言」と日蓮が遺文中で述べたことは一度もありません。
「国主の用ひ給ふ禅は天魔なる由、鎌倉殿の用ひ給ふ真言の法は亡国の由、極楽寺の良観房は国賊なる由、浄土宗の無間大阿鼻獄に墜つべき由」(『波木井殿御書』、弘安5年、真蹟不存、『昭和新修日蓮聖人遺文全集』2002ページ)【『波木井殿御書』は創価学会版御書全集には未収録】
日蓮の真言と律への批判は佐渡以降に出てくるものですから、その意味で文永5年の『建長寺道隆への御状』(『与建長寺道隆書』)及び一連の『十一通御書』が古来より偽書とされるのも根拠のないことではないと言えるでしょう。
また弘安5年説の『波木井殿御書』は久遠寺日朝の写本があるのですが、真蹟不存です。しかも上記の引用は文応の安国論上程に際して書かれた文で「四箇の格言」が存在しない『立正安国論』に「四箇の格言」があるとされており、書いてもいないことを日蓮本人が述べることなどあり得ません。姉崎正治氏は同書を偽書としていまして、創価学会版の御書全集にも『波木井殿御書』は収録されていません。
したがって念仏・禅・真言・律の四つに対して併記して批判した御書は真蹟としては『諫暁八幡抄』の1箇所しか存在しないのです。しかも同抄の用例は「四箇の格言」の「念仏・禅・真言・律」の順番ではなく「真言・念仏・禅・律」の順となっています。
例えば『開目抄』では「天魔のつける法然」(創価学会旧版御書全集227ページ)とされています。また『撰時抄』では「禅宗は日本国に充満してすでに亡国とならんとはするなり」(同280ページ)とありますから、これだけ見れば「念仏天魔」「禅亡国」も日蓮は併記して認めていたことになります。『報恩抄』では「仏説まことならば弘法は天魔にあらずや」(同321ページ)とありますから「真言天魔」になります。
煩瑣に渡るため、これ以上は細かく載せることをしませんが、「念仏無間」「禅天魔」「真言亡国」「律国賊」の各用例は日蓮遺文中では一貫しておらず、他にも「真言天魔」「念仏天魔」「禅亡国」「良観天魔」等の用例が併存しているのです。
参考文献
株橋隆真「「四箇格言」についての一考察」、『桂林学叢』第21号所収、法華宗教学研究所、2009年