気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『百六箇抄』『御本尊七箇相承』で強調される日蓮と俊範の関係について。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
今回は比叡山修学時代の日蓮が、横川の俊範に師事していたことについてです。今回はジッリオ・エマヌエーレ・ダヴィデの論文『俊範の教説と日蓮への影響について』(日本仏教総合研究13号、2015年)の内容から、自分の思うところも含めて書いてみたいと思います。
 
 
日蓮比叡山で修学時代、恵心流の流れに属していたようで、事実『守護国家論』でも恵心僧都源信は念仏者ですが、肯定的に評価されています。
 
 
日蓮は恵心流に属する横川の俊範に師事していた説があり、姉崎正治氏も著作『法華経の行者日蓮』において、俊範に師事していた説を採っています(姉崎正治法華経の行者日蓮』78ページ、講談社学術文庫、昭和58年【原著:昭和28年】)。

 
ところが、これを裏付ける文献の一つが、実は偽書説の疑いの強い『御本尊七箇相承』および『百六箇抄』なのです。
ただ『御本尊七箇相承』は房州日山の写本が知られますが、この日山なる人物がダヴィデ氏の論文の通りに池上本門寺4世の日山(1338〜1381)であると仮定するなら、この古写本は1300年代まで遡り、俊範を日蓮の師とする説が14世紀頃に既に成立していたことになります。
 
ところで日蓮の師匠と言えば道善房であり、日蓮真蹟遺文から判断するなら、道善房こそ日蓮の師匠筋にあたるというのが史実として正しいことになるでしょう。
俊範について、日蓮真蹟遺文で言及があるのは『浄土九品の事』(真蹟:西山本門寺蔵)ですが、確かにここで日蓮は俊範(俊鑁)法印を「大和の荘」「三塔の総学頭」と書いていますが、俊範が日蓮の直接の「師」であるとするような記述はここには見られないのです(創価学会旧版御書全集699ページ)。

 
また真蹟不存ですが『念仏者追放宣旨事』にも「法印俊範」に言及する記述が存在します。しかしここでも俊範を「大和の荘」「法印俊範」と述べながら、特に師匠であるとするような記述は存在しません(同89ページ)。

 
ここから考えれば、日蓮比叡山の修学時代、俊範に影響を受けながらも、その講義の一聴講生だった可能性が高く、日蓮は俊範の法話を聞いて学んだことは事実としても、特に俊範のみを恩師として師事した事実はないと考えた方が自然でしょう。
それなのに、殊更になぜ比叡山時代の俊範を日蓮の師匠として持ち上げる議論が、偽書説の可能性の高い『御本尊七箇相承』『百六箇抄』で見られるのでしょうか。
 
 
窪田哲正氏の『中古天台恵心流における円密勝劣論』によるなら、当時の比叡山は、密教を優位とする教学が既に確立されていまして、俊範の属する恵心流教学では、天台宗の教観二門を「法華宗」と「天台宗」(一念三千一心三観)とに分別し、観門を天台宗の究位としていました。
空海は『秘密曼荼羅十住心論』で、天台宗を第八住心とし、真言の下位に配したのですが、このことを最初に指摘した人物の一人が俊範であり、それは『等海口伝抄』等でも言及されています。
 
『等海口伝抄』には「無作三身」の語が存在します。周知のことですが、「無作三身」「無作」という語は日蓮真蹟には全く見られない表現であり、これらの語が多用される『御義口伝』『御講聞書』『十八円満抄』『授職潅頂口伝抄』『当体義抄』『三種教相』は、全て真蹟不存、偽書の可能性の高い遺文であることがわかっています。
 
 
とすると『百六箇抄』『御本尊七箇相承』における俊範の発言の紹介は、偽書として同書を権威化するために、あえて俊範の名を利用した可能性があるのではないかと私は考えています。
事実、『百六箇抄』では本迹不思議一なりとする根拠を俊範の発言としています(同861ページ)。

 
また『御本尊七箇相承』では明星の池に映る影が大曼荼羅と映ったことを日蓮が俊範に話したことを、俊範が讃嘆したとしているのです(『富士宗学要集』1-32〜33ページ)。

 
ここから考えて『百六箇抄』や『御本尊七箇相承』で俊範の権威が利用されるのは、両書がまさに偽書であるからであり、天台教学の強い富士門流の教義を権威化させる目的で、俊範と日蓮との関係性をあえて強調しているのだと思います。
 
 
 
参考文献
ジッリオ・エマヌエーレ・ダヴィデ『俊範の教説と日蓮への影響について』日本仏教総合研究13号所収、2015年。