気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「無作」「無作三身」は日蓮の教説ではない。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
今回は「無作三身」についてです。
この「無作三身」という教義、とりわけ大石寺系教団、創価学会で好まれるもので、聖教新聞オンラインの用語解説でも「生命本来の三身をそなえた仏の境涯」と説明しています。特に偽書説濃厚な『御義口伝』で多用される言葉でして「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(旧創価学会版御書全集790ページ)とされています。
 
ところが、この「無作三身」「無作」という教義は、本来中古天台本覚思想で扱われる概念です。そして日蓮の真蹟には全く出てこない表現なのです。
例えば「無作」や「無作三身」は『開目抄』や『撰時抄』『観心本尊抄』『報恩抄』『立正安国論』と言った、日蓮の代表作には全く出てこない表現です。
代わりにこの「無作」が頻出するのは、真蹟不存で偽書の疑いの強い遺文ばかりなのです。
具体的に日蓮遺文から「無作」と書かれた全ての用例を挙げてみましょう。数字は創価学会旧版御書全集のページ数になります。ただし『三種教相』『今此三界合文』『授職灌頂口伝抄』は創価学会版の御書に未収録なので、これらの遺文は昭和新修平楽寺版の『日蓮聖人遺文全集』から「無作」の用例の数とページ数を示しています。
 
 
『諸宗問答抄』(真蹟不存)
1箇所(382)
 
『当体義抄』(真蹟不存)
2箇所(512、517)
 
『三世諸仏総勘文教相廃立』(真蹟不存)
1箇所(560)
 
『御義口伝』(真蹟不存)
44箇所(717、719、720、752に6箇所、753に3箇所、754に4箇所、756に2箇所、758に2箇所、759に4箇所、760、761に3箇所、776、783に2箇所、784に6箇所、790に3箇所、798、799に2箇所、800)
 
『御講聞書』(真蹟不存)
8箇所(834、835、838に3箇所、846に3箇所)
 
『百六箇抄』(真蹟不存)
2箇所(854、858)
 
『本因妙抄』(真蹟不存)
3箇所(871に2箇所、875)
 
『義浄房御書』(真蹟不存)
1箇所(892)
 
『三大秘法稟承事』(真蹟不存)
2箇所(1021、1022)
 
『妙一尼御返事』(真蹟不存)
1箇所(1261)
 
『教行証御書』(真蹟不存)
1箇所(1280)
 
『十八円満抄』(真蹟不存)
5箇所(1362に2箇所、1364に2箇所、1366)
 
『三種教相』(真蹟不存)
5箇所(昭和新修146に2箇所、147に3箇所)
 
『今此三界合文』(真蹟不存)
1箇所(昭和新修425)
 
『授職灌頂口伝抄』(真蹟不存)
11箇所(昭和新修1036に4箇所、1037に5箇所、1038に2箇所)
 
 
ここでは、創価学会信徒さんにあまり馴染みがない『今此三界合文』から「無作」の用例を画像で示してみましょう。昭和新修『日蓮聖人遺文全集』の425ページになります。

 
「無作」の用例を示した遺文を見れば、どれも真蹟不存で、日蓮真蹟に「無作」と書かれた例は皆無です。しかも「無作」や「無作三身」の用例が頻出するものは『御義口伝』『御講聞書』『十八円満抄』『授職灌頂口伝抄』など、偽書の疑いの強いものばかりです。
ここから考えても「無作」や「無作三身」という教義は、日蓮の代表的な著作には出て来ないものであり、日蓮の教説・用例とは到底言えないということになります。