気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『一生成仏抄』は偽書である。

 
 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて皆さんは『一生成仏抄』という日蓮遺文を知っているでしょうか?
大石寺系信徒、とりわけ創価学会の信者さんには有名な御書です。有名な文を挙げてみましょう。
 
衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり」
「譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し」
「只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし」
「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是を磨くとは云うなり」
 
旧版の創価学会版御書全集で『一生成仏抄』は383〜384ページに掲載されています。

 
ところが、この『一生成仏抄』は、後世に作られた偽書の可能性が非常に高い遺文です。
以下にその理由を述べてみましょう。
 
1、日蓮真蹟、上古の写本は存在しない。
 
まずこれが決定的なのですが、『一生成仏抄』には日蓮真蹟も上古の写本も全く存在しません。日興の写本中にも『一生成仏抄』は存在しませんし、録内にも同抄は収録されていません。
『一生成仏抄』の初出は室町時代の録外で、久遠寺11世行学院日朝(1422〜1500)が筆写した録外御書百通の写本と目録が身延山の宝蔵に現存します。そしてこの中に初めて『一生成仏抄』(ここでは『一生成仏信心事』)の名が出てきます。したがって『一生成仏抄』の成立は室町時代より前には遡ることができないのです。以下の画像は浅井要麟編『昭和新修日蓮聖人遺文全集』別巻収録のものになります(3-397〜399ページ)。

 
室町時代以降に現れた『一生成仏抄』が真蹟である可能性はここからも低いことがわかるかと思います。同抄は室町時代初出の文献ですので、鎌倉時代の文献と扱うことはほぼ不可能になります。
 
 
2、法性真如の語の扱い
 
『一生成仏抄』には「只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし」(前掲御書384ページ)として「法性真如」の語が出てきます。仏性を己心の法性真如とする発想は本来天台本覚思想であり、日蓮の真蹟遺文や代表的な著作には見られない思想です。
試しに「法性真如」という語が現れる日蓮遺文を探してみましょう。すると以下のようになりました。数字は前掲書の旧版御書全集のページ数になります。
 
『一生成仏抄』1箇所、384
『女人成仏抄』2箇所、471
『当体義抄』2箇所、510
『御義口伝』1箇所、768
『新池御書』1箇所、1443
 
6篇全ての御書が真蹟不存、古写本も不存、偽書の疑いの強いものばかりです。「法性真如」の語は日蓮の真蹟や代表的な著作には全く出て来ない語であり、ここからも日蓮が「法性真如」という語を用いた可能性は非常に低いと考えられます。
 
 
以上のことから判断して、『一生成仏抄』は後世に作られた偽書の可能性が高いということになります。