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日蓮真蹟の蒐集が始まった際、富士方面でも日興門流を中心に御書の蒐集があった事実は『富士一跡門徒存知事』を読むとよくわかります。以下に当該ページの画像を載せてみます(創価学会旧版御書全集、1604〜1605ページ)。
これを見ると、当時富士方面におよそ10編の御書が写本、転写本、一部は真蹟をもって伝えられていた事実がわかります。
この『富士一跡門徒存知事』は正確には日興本人の著述ではなく、重須初代学頭の日澄の作とされます。そのことは傍に置くとしても、やや不可解なのは、大石寺や北山本門寺にその後、真蹟ありとされた遺文がこの『富士一跡門徒存知事』に収録されていない点です。
例えば東洋哲学研究所の小林正博氏の調査によるなら、大石寺に真蹟現存・曽存の遺文は他にも『諫暁八幡抄』『三論宗御書』『十宗判名の事』『五行御書』等もあります。なぜそれらの遺文が『富士一跡門徒存知事』に載らないのかが不可解です。
加えて消息文なら大石寺に現存する御書は更に増える筈です。複数同名の『上野殿御返事』『南条殿御返事』は多数大石寺に現存します。『閻浮提中御書』『衆生身心御書』『食物三徳御書』なども真蹟は大石寺現存です。
ここから考えられる推論は以下のようになるでしょう。
ということになろうかと思います。