気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

罪深い活動家・広宣部としての自身の半生。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて私は創価学会を退会しましたが、かつては広宣部のメンバーでした。
 
 
「広宣部と言論企画部」
 
 
上記の記事を読めばわかることですが、広宣部は対他宗派対策の特殊部隊であり、日蓮正宗妙観講顕正会信者に、創価学会組織の離間工作をさせないよう、相手を議論で問い詰めて回答不能にさせる、そういう勉強をさせられました。いわばディベート術と、そのための必要な文献の知識です。
 
 
顕正会への対策はそんなに難しくありませんでした。顕正会創価学会を批判する時に引用する日蓮遺文はほぼ『三大秘法抄』と『二箇相承』に限定されていまして、その二つくらいを読んで、その論拠を突き崩してしまうと顕正会はだいたい回答不能に陥ります。
当時の広宣部でも、正攻法で他宗派を論破できる人材は重宝がられまして、まだ20代だった私は県幹部に引っ張られて、ヤング男子部の圏や本部の責任者になって家庭訪問に明け暮れたり、顕正会信徒の誘いにわざと乗って自宅と称して個人会館に呼び付け、顕正会信者を回答不能にしたりして、奇妙な陶酔感を覚えていました。私もまた当時カルト宗教的な洗脳から離れられなかったのです。
 
 
そのうち、90年代後半以降、宗創紛争によって顕正会ではなく妙観講と議論する機会が増えました。妙観講との議論は一筋縄ではいきません。顕正会との対論は「国立戒壇」一択で勝負できましたが、妙観講はそうはいかない。何しろ三宝論、血脈説、昭和52年路線、相伝書、戒壇本尊説、戸田城聖の指導との整合性など、議論すべきことは多岐に渡り、広宣部のメンバーでも幅広く論戦ができるような人材は貴重だったのです。
 
 
私はいろんな危険な活動に駆り出されました。末寺の御講に潜入し、住職の御講を録音したこともあります。私は御講に来る信徒の車のナンバーを控えて、それを別の広宣部員が陸運にかけて住所を割り出し、家庭訪問用の名簿を作成していました。何人かの先輩は偽装して「勧戒」を受け、正本堂(当時)の御開扉に潜入したり、僧侶と関係を持ったりした人も少なからずいました。
私も相手方の僧侶も身バレする可能性があるので、過去の詳細は書けませんが、相当数の広宣部員が大石寺本山や末寺に潜入して諜報活動に明け暮れていたのです。私の先輩などは『聖教新聞』に加えて『顕正新聞』『慧妙』なども普通に購読していました。
宗務院からの「院達」は当時ファックスで全国末寺に送付されたのですが、創価学会の全国の広宣部員はほぼリアルタイムで把握していました。院達のコピーも普通に組織で出回っていました。大石寺宗門の僧侶たちも一枚岩ではなく、広宣部に協力的だったり、創価学会寄りだったりで、情報を横流しする住職も普通に存在していたのです。
 
 
日蓮正宗の信者さんならわかることですが、創価学会のような他宗派から日蓮正宗の信徒になることは「御授戒」ではなく「勧戒」(勧誡)と言います。そして勧誡を受ける際、創価学会の退会を条件にせず、そのままで勧誡を受けることが当時から常態化していました。普通に宗教の二重籍の信徒が当時からあり得たのです。
そんな風に偽装で、創価学会に入ったまま偽装で日蓮正宗に入ったり顕正会に入ったりした人がいて、彼らはやっているうちにどちらの宗教の信徒なのか、だんだんわからなくなってしまうのです。それで大石寺に行った広宣部もいましたし、宗教から離れていった広宣部も少なからずいました。
 
 
私はこの時はそうはなりませんでした。
私は広宣部でも変わったメンバーで、ひたすらに史料を集めたり、よく読んだりしていたのです。
メンバーの中には広宣部の資料を学ぶうちに、創価学会という教団の矛盾に気づく人が出てきました。私もそうでした。
しかし活動家だった当時の私は、それを公にするのを躊躇いました。
それらを胸の奥にしまい込んだことで、このことが後年にこのブログを書くきっかけになるとは当時は全く考えていませんでした。
 
 
広宣部のメンバーには、妙観講顕正会等の他宗派対策の対論の勉強をしていたグループがありましたが、対論で相手を言い負かす方法はいろんなものがありました。
基本は日蓮遺文を示し、事実を提示して、相手の論陣の前提を崩すやり方ですが、中には話題を逸らし続けて他者にマイナスイメージを与えるやり方をする人もいました。言わば印象操作です。
私があまり好きではなかったのが、この印象操作の手法ですが、事実そうやってマイナスのイメージを与えるだけの広宣部は確かにいました。
 
 
徐々にこの広宣部は下火になり、やがてほとんどの県や方面で、広宣部は活動しなくなりました。残ったのは、単に他者にのらりくらりと絡んでは相手に負のイメージを与え続けるだけで、対話ができない信者たちでした。
 
 
私が広宣部としてやってきたことは、他人様に褒められたようなものではない、教団の恥部のようなものです。
そのことに言い訳をしたくないです。自分は他人に褒められるような人間でもないのです。
けれどそのことを誤魔化さず、正直に生きていきたいです。
広宣部で学んだことに全て意味がなかったと思いますが、それなりにその後の自分を振り返り、検証するための相応の私的な武器になったようには思います。
 
 
私は創価学会日蓮正宗の信者たちが回答に詰まると、のらりくらりと誤魔化して自己正当化することをよく知っています。宗教的洗脳とはそういうものですが、洗脳されている当人たちはそれを認めることができないのです。
私は時に広宣部の手法を用いて、その洗脳を解こうとすることがあります。私は宗派間の対論を専門としてやってきたので、慣れている手法です。
言わば「毒を以て毒を制する」ところがありますが、そのような荒療治をしないと彼らは逃げ回って自己正当化するだけなのです。
もしかしたらTwitterのアカウントを見てくださっている方の中には、そんな私の広宣部ばりの手法を好ましく感じない方も少なくないだろうと思います。その点は本当に申し訳ありません。言い訳もしませんし、そのことを不快と感じる方がいるなら、私の姿勢を批判して離れて頂いても構わないと思います。
 
 
元広宣部として非常識な活動を散々してきましたが、今は創価学会日蓮正宗も含めて全ての大石寺系教団を批判する人間でありたいだけです。多くの方の宗教的洗脳が解けて、新たな人生をまた歩み出せるように私は願っています。同時に私のブログはそのための道具、捨て駒として使って頂ければ十分です。
 
 
私は活動家の頃、幹部から「池田大作先生の捨て駒になるのが我々だ」と言われて活動してきました。
その結果、私は家族を全て失いました。
今の私は宗教的な洗脳に苦しむ人たちのために、自分の恥の多い人生を晒して「捨て駒」になりたいと願っています。
私は自分がブログをどれだけ続けられるのかわかりません。あまり自信もありません。
みなさんのお役に立てるなら、私のような恥の多い罪深い活動家ももしかしたら救われるのかもしれません。今は亡き母が喜んでくれるならそれで構いません。
今回の記事、長くなってしまいました。お読み頂いた方、ありがとうございます。