気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

継続は力。

 
 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて、私は日蓮遺文について、それが真蹟現存なのか、真蹟曽存なのか、それとも古写本とももに不存なのか、今のところ大体把握できるようになりました。
それは私が非活になって退会して以降、私が数年かけていろいろと調べて文献を集めて読んできた結果です。まだわからないことも多く、まだまだ研鑽しないといけないことがたくさんあるとは思うのですけどね。
 
 
私は創価学会の元広宣部としてかつて活動してきました。「広宣部」とは主に他宗派対策として創価学会が男子部内の創価班に結成したグループでして、当時は主に他宗派との対論を担当していました。
平成3年以降の第2次宗創紛争によって、妙観講創価学会員を家庭訪問したり、退会させたりする活動が頻発し、広宣部メンバーは各所でそれを論破する勉強をしていました。
 
 
私はこの広宣部の勉強会で、初めて日蓮の御書に「偽書」が存在することを知りました。
日蓮正宗妙観講との対論のために、私は相伝書とされる『本因妙抄』や『百六箇抄』と言った血脈抄を学びましたが、そこに後加文と言って、後世の加筆があることも初めて知りました。
「なぜ相伝書と呼ばれる重書に後世の加筆があるのか?」考えれば考えるほどわからないことだらけでした。
 
 
妙観講創価学会を批判する際、「血脈が断絶した」「血脈が切れた創価学会は功徳がない」と述べることがあります。
これに対して、どう反論するか、さまざまな切り口を学びましたが、その一つは『生死一大事血脈抄』の血脈観から大石寺の血脈観を否定していくやり方でした。
この反論は意外と効果的でした。日蓮正宗側も同抄を真蹟と判断する立場にありましたから、正確に引用することで、相手を沈黙させるに十分な効果があったことを覚えています。
ところが、私は途中で奇妙な事実に気づきます。それは『生死一大事血脈抄』には実は真蹟が存在しないということです。
 
「『生死一大事血脈抄』は後世の偽作である」
 
振り返ってみれば、この『生死一大事血脈抄』を引用して妙観講と対論をしてきたのですが、肝心の同抄が日蓮系他宗派からは偽作扱いされているのです。
「そんなはずはない」と色々調べてみたのですが、調べれば調べるほど出てくるのは真蹟不存の事実、最蓮房宛の一連の遺文の信用性の低さばかりでした。
 
私は多くの広宣部メンバーが創価学会を離れて日蓮正宗に行ったり、顕正会に行ったりした姿をこの目で見てきました。
私自身は創価学会に留まりましたが、最終的には非活から退会を選ぶことになります。
私はこの『生死一大事血脈抄』の信用性の低さのこともあって、自分たちの立論の根拠の信用性を知るために、文献を集めて調べるようになりました。要するに本当のことが知りたかったのです。
 
 
私一人で文献を集めて学ぶのは荷が重いことでした。さまざまな友人や知り合いから私は教わったり、文献を借りたりしながら、少しずつ知識の隙間を埋めて行ったのです。それには膨大な時間がかかりました。
2016年頃、両親も亡くなってしばらく経った後ですが、私はブログを書くことを思いつきました。
まだまだこの時点で、私の知識は不十分でした。今でも不足を感じていますが、少なくとも勉強をしながらも、今まで知ったことを少しずつ書いていこうと思ったのです。
 
私が学んできてわかったことは、創価学会日蓮正宗等の大石寺系教団は、教学的に本当のことをきちんと信徒に教えていないと言うことでした。
例えば『御義口伝』は日蓮も日興も日目も日有でさえも言及していない文献であり、鎌倉時代の記録が全く存在しません。『御義口伝』が歴史上最初に出てくるのは日蓮滅後200年以上も後のことであり、鎌倉時代の文献とは呼べないのです。
 
「『御義口伝』が偽書である理由を列挙してみる。」
 
 
例えば日蓮正宗は、戒壇本尊を帰命依止の本尊としていますが、そもそも日蓮や日興等の文献に何の言及も存在しない戒壇本尊は、単なる後世の偽作でしかないのです。
 
 
戒壇本尊が偽物である理由を列挙してみる。」
 
教団は信徒の疑問に真摯に答えないばかりか、教団に都合がよい情報のみを流し、真偽の問題に関して信徒に積極的に教えません。
日蓮遺文に法華真言未分の時代の遺文があったことも教えません。創価学会信徒は『戒体即身成仏義』も『不動愛染感見記』も知りません。『富士宗学要集』も創価学会では絶版。日蓮正宗では『御本尊七箇相承』も信徒に読ませなくしてしまいました。
 
教義だけでなく、彼らは歴史そのものも改竄していました。少なくとも私にはそうとしか思えませんでした。
創価学会なら、例えば矢島周平氏に対する評価、戦時中の創価教育学会の戦争肯定、長野県赤化教員の思想改造、狸祭り事件における暴力紛いの示威行為、過去の機関紙誌の非公開、池田大作氏の大蔵商事、東洋精光、公明協会、折伏教典等の過去の出版物の絶版、他宗派罵倒の過去、池田大作氏とチャウシェスクの会談、ノリエガ氏との会談……枚挙に暇がありません。
日蓮正宗なら、例えば『本尊三度相伝』に見られる神道の影響、天王堂と垂迹堂、『日興跡条条事』の偽作、他山からの相伝書の盗用、日目から日道への相承の断絶、日阿から日影への相承の断絶、戒壇本尊の偽作、日蓮本仏説の偽作、大石日応による『聖人御難事』の拡大解釈、日英や日元らによる神社への本尊奉納……これも数え上げればきりがないでしょう。
 
 
教団組織ではこれらの疑惑に答えてくれる人は存在しませんでした。ただ選挙に明け暮れ、細かいことを知ることを軽視する教団信者、また戒壇本尊を絶対視し、本山の正統性を根拠もなく信じ込むことが正しいと主張する教団信者ばかりでした。
 
教学的に尊敬できた私の父も亡くなり、この世にはいませんでした。悩みを聞いてくれる母もこの世を去りました。かつて教学的な疑問に答えてくれた古参の幹部たちはみんな消え去り、ただただ教団の正統性ばかりを喧伝する奇妙な原理主義者ばかりの教団になってしまいました。
 
だから私はブログを書きました。
「きっとこんなブログを誰も読まないだろう」と思いました。だからブログ開設当初は本当に気楽な論調で書いています。
 
誰も読まないと思ったら……なぜか各方面から大変な反響がありました。長井秀和さんが私のブログを取り上げてから、日蓮正宗創価学会の活動家たちが狂ったように私を非難中傷するようになりました。
同時に多くの創価学会信徒、日蓮正宗信徒たちが私のブログを読んで活動をやめたり、退会したりする声を多く聞くようになりました。現在のブログの総アクセス数は324万アクセスにもなります。はてなブログの読者登録数も200人を大きく超えました。
 
今になって感じることは、継続することが力になったのだということ、そして教学の研鑽に王道はないのだということです。検索して引っ張ってきた知識だけで何か大きなことを語れるとは到底思えません。ただ私は少しずつ文献を読んで、ただ知っていることの裾野を広げてきただけなのです。
コツコツと少しずつ学び、少しずつ事実を積み上げることこそが私のスタイルです。だからこそ一回一回のブログ記事は読み切りで、それだけで意味がとれるようになっていると思います。
今後も地道に学び、地道に事実を積み上げていきたいと改めて感じています。同時に大して調べることもせず、安易な検索と借り物の知識だけで何かを知ったかのように語る信者たちは、やはり教団の借り物の教義、教条主義に毒されているのかと思えてなりません。