いつもみなさん、ありがとうございます。
『常修院聖教事』を見ると、それぞれの真蹟が異なる保存方法によって分けられているのがわかります。
例えば最も重要と考えられた真蹟の教義書類は「御自筆皮籠」と記され、7編の遺文が保存され、7編全てが現存しています。その他は「巻物分」「御消息分」「御書箱」「要文箱」となっているのです。
ではこの中で教義上、最重要と考えられ「皮籠」に収められた7編の日蓮真蹟とは何だったのでしょう。
中山法華経寺の聖教殿の実地調査を行った中尾堯氏は以下のように述べています。
「皮籠に奉入された以上七点の教義書について、『常修院聖教事』が成立した永仁七年(1299年)の頃の状況にできるだけ接近してみた。全体的に見ると、大切にされていた割には傷みが激しいと思われるが、それはどうしてであろうか。日蓮の没後における教団では、行動様式の定立と教義の体系化が緊急な問題として取り上げられ、命運をかけて論議が交された。この際に教学の依拠とされたのが『観心本尊抄』をはじめとする教義そのものに関するこれら七点の書であったから、他の真蹟遺文とは特に区別されて目録の冒頭に掲げられ、保管されたのである。しかも、これらの書は篋中に深く蔵されたのではなく、一門の僧俗によって頻繁に披見され、教理の源泉として重要な役割を果たし続けた。皮籠に奉入された七冊の教義書に刻みこまれた磨傷や手垢の跡は、日蓮没後における教団史のこのような一面を物語っている。」
さてこの真蹟の中には『双紙要文』等の要文集もまた収められています。日蓮門流において要文類を学ぶことの意義とはどういうことなのでしょう。
「日蓮は、経論釈と称される仏教学の典籍を広く狩猟し、みずから独自の教学を樹立した。激しい問題意識をもって一切経を閲読するかれは、反故裏を用いた帖にその要点を抜書きし、あるいはその要文を一紙一紙にまとめて書き記した。日蓮真蹟の帖仕立の形をとる要文集や、一紙毎にまとまりのある「一紙要文」とでもいうべきものが今日に伝わっていて、その有様をよく物語っている。もちろん、「法華取要抄」のように、巻子本仕立ての料紙に首尾一貫した内容の要文を染筆した場合もあるが、これは数少い例である。断片的な要文の抜書こそが、日蓮の一生を通じてみられる仏教学研鑽の実際的な方法であった。日蓮はこれらの要文を弟子に保管させたり、信者のもとに預けたりしたので、有用の時には弟子に命じて取り寄せている。」
(同203〜204ページ)
つまり日蓮が実際に仏教を研鑽する方法そのものこそが要文類の書写や抜書きであり、それらを書き写してすぐに閲覧できる形で保管をした。そして必要に応じて引用できるように弟子たちに保管を命じたというのです。
真蹟から教学を構成することをせず、日蓮の要文も知らず、偽書の疑いの強い『御義口伝』『生死一大事血脈抄』等ばかりをありがたがり、真蹟が何なのか、偽書が何なのかさえ知らず、日蓮の著作とは言えないものから教義を構成することしか知らない人たちばかりになってしまっているように私には思えてきます。
参考文献