気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「仏敵」について。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて創価学会日蓮正宗顕正会等の大石寺系教団の信者がよく使う言葉に「仏敵」というのがあります。
自教団の意に沿わない批判者や退会者、棄教者等を卑下するために使われることが多いです。
 
 
この「仏敵」という語、いろいろ調べてみたのですが、どうも漢訳経典に由来する語ではないようなのです。簡単に言えば仏教の用語とは言えない可能性があります。経典に由来しないのです。
事実、大正新修大蔵経のデータベースにも見られません。新纂『浄土宗大辞典』にも「仏敵」の項目は存在しません。法華経にも出てきませんし、梵網経その他のどの経典にも出てこないと思います。
 
日蓮はどうか。気になったので調べてみました。日蓮による「仏敵」の用例は4例ありました。
 
『神国王御書』(創価旧版御書1521)
「仏敵たる事疑い無し」
 
『太田殿許御書』(同1003)
「之を言わずんば仏敵と為らんか」
 
『報恩抄』(同297)
「末の人人を仏敵といはんとすれば」
 
立正安国論広本』(昭和新修384)
「道士一十二人を誅して九州の仏敵を止む」
 
 
ここでは創価学会信徒さんにあまり馴染みのない平楽寺版収録の『立正安国論広本』の画像を示してみましょう。

 
ちなみに
『神国王御書』は真蹟現存(京都妙顕寺)です。
『太田殿許御書』も真蹟現存(中山法華経寺)です。
『報恩抄』は真蹟身延曽存(一部断簡が池上本門寺等に散在)です。
立正安国論広本』は真蹟現存(京都本圀寺)です。
 
しかし、日蓮の発言にはどこにも経典からの引用を示す文言がありません。およそ日蓮遺文を読んだことがある人なら即座にわかることなのですが、博覧強記の日蓮は仏典や経疏から引用する時は「仁王経に云く」「玄義に云く」等、必ず引用元を示します。しかし「仏敵」と言う語には全く引用元の経典等が示されていません。と言うことは「仏敵」が経文由来の語ではないということかと思います。
 
そこで、調べていたところ、X(旧Twitter)で「七世紀、玄奘三蔵の弟子だった普光が著した倶舎論の注釈書『倶舎論記』に「仏敵」の語が見られますが、仏と「対立」するといった意味で使用されているようです。」とのご教示を頂きました。
ということは、漢訳経典に依拠せず、普光の『倶舎論記』から日蓮は「仏敵」という用例を見出したのかを調べてみたのですが、どうもこれも可能性は低そうなのです。
 
と言うのも、日蓮遺文中には「普光」「倶舎論記」「光記」(倶舎論記の別称)と言った用例が全く見られないのです。
普光『倶舎論記』は世親『倶舎論』の注釈書、疏類にあたります。日蓮遺文を見ると世親の『倶舎論』については『戒体即身成仏義』『一代聖教大意』『唱法華題目抄』『守護国家論』に用例が見られるのですが、普光の『倶舎論記』に関する言及は全く存在しません。
 
そもそも「倶舎宗」に対して、日蓮は『本尊問答抄』(日興写本、日源写本現存)で「倶舎宗は浅近なれども一分は小乗経に相当するに似たり」と書いています。「浅近」とした倶舎宗の教えから日蓮が「仏敵」の語を採るとはあまり思えないのです。また『開目抄』『撰時抄』等、多くの諸抄で日蓮は「倶舎宗」に言及していますが、どれも唐代に日本に倶舎宗が渡ったことを他宗派と羅列して述べているのがほとんどで、倶舎宗の内実を具体的に述べたことが日蓮はないと考えられます。
 
日蓮から見れば倶舎宗は「南都六宗」の一つであり、『開目抄』下で日蓮最澄を引用する形で「伝教の云く『像法の末・南都・六宗の学者は法華の怨敵なり』等云云」と述べ「法華の怨敵」としています。「法華の怨敵」の倶舎宗から日蓮が「仏敵」の用例を採用したことはここからも益々考えにくいのです。
 
とすると「仏敵」とは、本来仏教経典の用語ではなかったことになります。
恐らく日蓮が使った「仏敵」は鎌倉時代初期に成立した『平家物語』由来の語ではないかと個人的には推測しています。
確かに『平家物語』では平清盛平重衡等を「仏敵」「朝敵」とする表現が見られます。『平家物語』の成立に関しては諸説ありますが、概ね13世紀前半には具体的に存在していたことがわかっていますので、ちょうど日蓮(1222〜1282)の生きた時期と重なります。日蓮は『法門申さるべき様の事』(真蹟中山法華経寺蔵)で「清盛入道・王法をかたぶけたてまつり結句は山王・大仏殿をやきはらいしかば天照大神・正八幡・山王等よりきせさせ給いて・源の頼義が末の頼朝に仰せ下して平家をほろぼされて国土安穏なりき」(御書1272)と書いています。
 
ということは、日蓮が生きていた鎌倉時代にあっては「仏敵」という語は『平家物語』由来で既に巷間に流布しており、一般的な語として日蓮は「仏敵」と使ったと考えるのが自然なことのように思います。つまり「仏敵」は漢訳経典の言葉ではなく、仏教の用語とは言えないのです。
ちなみに創価学会教学部編『日蓮大聖人御書辞典』(聖教新聞社、昭和51年)には「仏敵」の項目が存在しません。