いつもみなさん、ありがとうございます。
さて以前、読者からの投書により、今成元昭氏の論考を紹介されまして、それによると日蓮自身は「折伏」という語を「為政者による武力による弾圧」を意味しており、日蓮は折伏を「布教」という意味では使っていないのです。
「摂受と折伏について」
薬王品は、法華経を信じる女性の功徳を「阿弥陀世界への即時極楽往生」と説いています(法華経薬王品にはそう書いてあります)。ですから当時念仏を批判していた日蓮が、阿弥陀世界への直行を説く薬王品を引用するのは不自然なのです。事実、日蓮真蹟には1箇所も見られません。
では日蓮の弟子の日興はどうなのだろうと調べてみました。
日興の著作で「折伏」の用例があるのは、わずかに2作のみで、『玄義集要文』と『五人所破抄』のみです。このうち『玄義集要文』は北山本門寺に日興真蹟が現存しますが、『五人所破抄』は西山日代筆の代作です。創価大学の宮田幸一氏によれば、宮崎英修氏は「作者日代」と考え、執行海秀氏は「日順の草案を日代が清書したものではないか」としており、宮田幸一自身は執行氏と同意見としています。
さて真蹟現存の『玄義集要文』における「折伏」の引用例を見てみましょう。この部分は「四悉壇」の説明に図表として書かれていますので、『日興上人全集』(興風談所、平成8年)から直接該当ページの画像を貼付してみます。併せて同文の日興真蹟写真も掲載します。
これを見てお分かりのように、日興は四悉壇の内、世界悉壇を「摂受門」に配して「文」としているのですが、「対治悉壇」の方は「折伏門」に配され、なんと「武」とされているのです。
『五人所破抄』においても、「折伏」の相を論じる時、末法の代において一部読誦ではなく五字の題目を唱えることが述べられ「諸師の邪義を責む可き」(創価学会版御書全集1614ページ)とされています。ここからも折伏の語を「布教」という意味に解することはできません。