気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『新池御書』は偽書である。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回の記事はTwitterで話題になった、『新池御書』の偽書説についてです。
創価学会日蓮正宗の信者さんの好きな御書の一つで、彼らはよくこの御書を読んでいます。
冒頭の「うれしきかな末法流布に生れあへる我等・かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人」もよく読まれますし、「南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり」など有名です。
 
 
ところが、『新池御書』は偽書の可能性の非常に高い遺文です。
まず基本的なことですが、『新池御書』には日蓮真蹟が存在しません。また六老僧やその門下の古写本が存在しません。身延曽存でさえありません。『新池御書』はそもそも録外初出で室町時代以降、突如出現した遺文でしかないのです。
 
 
加えて『新池御書』は弘安3年と文末に書かれていますが、文中には何と弘安4年に建立が始まった「円覚寺」のことが書かれているのです。

『新池御書』には「建長寺円覚寺の僧共作法戒文を破ることは大山の頽れたるが如く・威儀の放埓なることは猿に似たり」(創価学会旧版御書全集1442ページ)とあり、あたかも弘安3年の時点で既に円覚寺に堂宇もあり僧侶もいて、当時既に運営されていたかのように描かれています。しかし円覚寺本体は開山を弘安5年としているのです。

 
 
弘安3年にまだ工事も始まっておらず、存在していない円覚寺に僧侶がいるはずがありません。日蓮がまだ存在していない寺の僧侶を批判する筈がありません。
したがって『新池御書』は非常に偽書の可能性が高い遺文になります。
 
加えてTwitter情報では建長寺円覚寺は14世紀に入ってから、官寺として公認され、両寺を並称して書くようになった可能性があるとのことでした。
それなら「建長寺円覚寺」と並称して書く『新池御書』の偽書としての成立は14世紀以降になるでしょう。