いつもみなさん、ありがとうございます。
ところが、『新池御書』は偽書の可能性の非常に高い遺文です。
まず基本的なことですが、『新池御書』には日蓮真蹟が存在しません。また六老僧やその門下の古写本が存在しません。身延曽存でさえありません。『新池御書』はそもそも録外初出で室町時代以降、突如出現した遺文でしかないのです。
加えて『新池御書』は弘安3年と文末に書かれていますが、文中には何と弘安4年に建立が始まった「円覚寺」のことが書かれているのです。
『新池御書』には「建長寺・円覚寺の僧共作法戒文を破ることは大山の頽れたるが如く・威儀の放埓なることは猿に似たり」(創価学会旧版御書全集1442ページ)とあり、あたかも弘安3年の時点で既に円覚寺に堂宇もあり僧侶もいて、当時既に運営されていたかのように描かれています。しかし円覚寺本体は開山を弘安5年としているのです。
したがって『新池御書』は非常に偽書の可能性が高い遺文になります。