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冒頭で「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」と説かれます。後段は有名な箇所ですが「ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ」「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや」という部分が出てきます。
同抄の偽書説については様々に理由を挙げることができますが、ここでは主に2点を挙げてみたいと思います。
1、真蹟、古写本の不存
まず建治2年6月27日説の『四条金吾殿御返事』は、真蹟が存在しません。かつて存在していた記録も存在しませんし、上古の古写本等も現存しません。
以下の画像は浅井要燐の『昭和新修』平楽寺版別巻の解説のものですが、録外刊行の際に『本満寺御書』から削除されたいくつかの遺文について挙げており、この中で明確に「四条金吾殿御書 一切衆生南無妙法蓮華経」という文書が『本満寺御書』の16巻に収録されていたことがわかります。
2、他の遺文と酷似する文章と、盗用の可能性
実はこれに酷似する用例は『主君耳入此法門免与同罪事』に見ることができます。以下は旧創価学会版御書全集1132〜1133ページのものです。なおこの『主君耳入此法門免与同罪事』は真蹟不存ですが、録内に収録されています。
この中では「御さかもり夜は一向に止め給へ」「只女房と酒うち飲んで・何の御不足あるべき、他人のひるの御さかもりおこたるべからず」「酒を離れて・ねらうひま有るべからず」と述べられています。
これについて浅井要麟氏は次のように説明し、日蓮遺文が歪曲・偽作された可能性を示唆しています。
「「只女房と酒うち飲みて、何の不足かあるべき」とは、四条氏の身辺に危険を感じられた聖人が、自宅以外の飲酒を禁められた警告である。
酒を嗜む在俗の四条氏に対して「余処では危険だから、自宅で女房の酌で飲めばそれでよいではないか」と云はれたまでである。
然るにこれを煩悩即菩提の本覚思想に結びつけて、建治2年6月と称する四条書には「ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と唱へ居させ給へ。これ豈自受法楽に非ずや」といふが如き思想を生ずるに至り、それが末法無戒の実状と結びつき、また聖人が多少の薬酒を用ゐられたといふ事実とも牽強付会せられて、日蓮門徒は酒を飲むも可なりといふが如き論理的錯誤が、現代聖人門下の一部に行はれつつあることはまことに遺憾である。」
浅井要麟編『昭和新修日蓮聖人遺文全集』別巻より、3-232ページ)
どうでしょうか。また浅井要麟氏は『四条金吾殿御返事』の信用性について、「この書の中心となってゐる「苦楽を超越して日常生活の間にも南無妙法蓮華経と唱へて、世間の迫害などに恐れず、信仰に安住せよ」と教えられたあたり、かの文永11年9月、四条氏が主君の不興を買った直後に送られた御消息と余りに酷似してゐて、この書の成立に関する疑惑を深からしむるものがある」(同3-268ページ)とまで述べているのです。
というわけで、建治2年6月27日説の『四条金吾殿御返事』は日蓮死後、300年後に突如現れた文献で、日蓮の真蹟も古写本も現存せず、また内容からして文永11年9月26日説の『主君耳入此法門免与同罪事』から剽窃して偽作された可能性が高いことになろうかと思います。