気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

王にしたがはざれば仏法流布せず。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、このブログで何度か教学的な検討を重ねて論じたことですが、日蓮の思想はどちらかと言えば個々の民衆の救済にあるのではなく、国家の奉ずる宗教の方を重視する立場にあったと言えます。



国家主義的・政治的な日蓮の特異性」



つまり日蓮は国家諫暁を行い、国家の奉ずる宗教を法華経にせよと迫ったわけです。これは『撰時抄』等からも明らかです。
今回は傍証として文永9年9月の『四条金吾殿御返事』(日興写本、北山本門寺蔵)を挙げてみましょう。




「善悪に付て国は必ず王に随うものなるべし。
世間此くの如し仏法も又然なり、仏陀すでに仏法を王法に付し給うしかればたとひ聖人・賢人なる智者なれども王にしたがはざれば仏法流布せず、或は後には流布すれども始めには必ず大難来る、迦弍志加王は仏の滅後四百余年の王なり健陀羅国を掌のうちににぎれり、五百の阿羅漢を帰依して婆沙論二百巻をつくらしむ、国中総て小乗なり其の国に大乗弘めがたかりき、発舎密多羅王は五天竺を随へて仏法を失ひ衆僧の頸をきる、誰の智者も叶わず。」
日蓮四条金吾殿御返事』、創価学会版御書1119ページ)

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つまり民は王に従うものであり、王に従わなければ「仏法流布」は難しい、流布しても大難が来ることを日蓮自身がここで指摘しています。
だからこそ「仏陀すでに仏法を王法に付し給うしかればたとひ聖人・賢人なる智者なれども王にしたがはざれば仏法流布せず」とまで述べています。



ここからもわかるように、日蓮の生涯は、国家の奉ずる宗教の問題なのであり、日蓮の理想は法華経を中心とした祭政一致国家でした。日蓮の布教の中心は一人一人の民衆ではなく、国家と為政者それ自体なのです。
だからこそ国家諫暁を行い、法華経中心の祭政一致国家を樹立することにより、神々が法味を取り戻して帰還し、国中の災害が治まると考えていたということになります。