気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『本尊得意抄副書』と『常修院本尊聖教事』との間の矛盾。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて昨日、『二箇相承』の矛盾について書いてみました。
 
「『二箇相承』の矛盾」
 
 
ところで、日蓮正宗の信徒は頭から『二箇相承』の実在を信じ込み、こちらの批判を受け入れられない方が一定数存在します。
そんな方の中には日蓮正宗側の説明を検証もなく受け入れ、頑なに批判を否定することしかできない人たちが少なからずいます。
 
そんな人の批判に以下のようなものがあります。
 
「徳治三年九月二十八日、日頂の『本尊抄得意抄添書』に『興上人一期弘法の付嘱をうけ日蓮日興と次第」の文ありと二箇相承の内容を日頂が記している。だから『二箇相承』は実在した。」
 
こういうものです。
実は日頂の『本尊抄得意抄副書』は、筆跡からも偽筆である見解が示されていまして、後世の偽作と考えられています。そもそも興門流の正統性を証明するのに他山の文書を引用している時点で日蓮正宗の信徒さんは矛盾だとはわからないものなのでしょうか。
 
以下に日頂『本尊抄得意抄副書』を画像で示してみます。出典は『日蓮宗宗学全書』1-44〜45ページになります。

 
ここで私が赤線を引きましたが、この文書の由来として「富木常忍より『本尊得意抄』を送られた」「日頂はこの『得意抄』に副書して送り参らせるもの」と記録されています。日付は徳治3年(1308年)9月28日です。
 
ところで、1308年に富木常忍が伊予公日頂に『観心本尊得意抄』を送付するためには、それ以前に富木常忍のところに同抄が実在していなければおかしな話になります。
ところで、富木常忍は自身の保管する文書について『常修院本尊聖教事』に記録して遺してあります。同文書が書かれたのは永仁7年(1299年)3月6日です。
ところがこの『常修院本尊聖教事』には、どこにも『本尊得意抄』の名は出てきません。全編を画像で載せます。どこにも『観心本尊得意抄』はありません。出典は『日蓮宗宗学全書』1-183〜188ページになります。

1299年時点で富木常忍が所有していなかった文書を、どうやって日頂に送ることができるというのでしょう? その時点で既に矛盾しています。
したがって『本尊得意抄副書』は後世の偽作であり、『二箇相承』の事実を記録した上古の正文書は存在していないことになります。
 
追記
『観心本尊得意抄』については、真蹟・古写本ともに不存であり、古来より偽書の疑いがかけられています。事実、浅井要麟氏も『昭和新修』で「真偽の論が喧しく」「中山第三世日祐上人の作」の可能性があることを指摘しています。(浅井要麟編『昭和新修日蓮聖人遺文全集』より3-259ページ)