気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

意味を失くした人生。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
私は広宣部出身ですが、非活から退会を選んだ後も私は学ぶことをやめませんでした。ただ才能がないので、文献を集めながら亀の歩みのように少しずつ文献を読んでは確認するだけでした。
 
「継続は力」
 
大石寺系・宗教間の苦悩」
 
 
私はただ本当のことを知りたかったのです。
私の母は大石寺創価系の宗教間対立から家族と断絶になり、祖父の葬儀にさえ出ることを許されませんでした。私はあの時の母の涙を忘れたことはありません。
 
「何がいけなかったのか?」 私は自問し続けました。今にしてみれば、その結論は単に未検証のまま、教団の教義を安易に過信してしまった、その結果であるだけなのですが、当時はそんなことさえもわからないでいました。
 
母の兄弟たちは宗教間対立から、創価学会日蓮正宗、祖父の本来の宗派である浄土宗その他に引き裂かれました。
互いに憎しみ合い、罵り合いながら、皆、亡くなっていきました。
母は自分だけが残され、死ぬことの恐怖と病気から精神を病むようになりました。
題目を唱えることは症状を悪化させることにしかなりませんでした。
私はかつては青年部の幹部として活動しましたが、自身の愚かさを恥じました。何と無力で意味のない人生だったことでしょう。私は母さえも救うことができなかったのかもしれません。そのことを今でも忘れたことはありません。
 
私は学びつつ、母に非活を勧めました。母は創価学会として活動することに恐れさえ抱くようになったのですが、宗教的な洗脳と桎梏からそこから離れることに恐怖を抱いていたのです。
私は少しずつ母に話しかけ、無理をしないことを諭しました。母は「お前の言う通りかもしれない」と言っていました。
 
母の亡くなる前の言葉を私は決して忘れません。「創価学会として戦って、みんな死んだり離れたり、いなくなってしまったね……でもね、お母さんにはお前がいればいいんだよ……」、母はそういいました。
 
私は原理主義的に創価学会を信じる、言わば狂信者の一人でした。私の心にあったのは「殉教」でした。今から見れば(また多くの読者の目から見たら)子どもじみたことと一笑に付されるだけでしょうが、私は自身が「池田先生の捨て駒になるのだ」と教わってきました。その通りに信仰の手本になって生きたいと本気で願ってさえいたのです。
 
結果として私は母とともに非活になりました。しかし母はほどなくして亡くなることになります。
 
 
私は家族を誰も救うことができませんでした。
私の人生には何の意味もなかったのです。
私がブログを書くようになったのは、そのような放心状態のまま、ただ自分の生きてきた検証をしたかっただけなのです。創価学会の幹部や日蓮正宗の信者は誰ひとり、私の悩みや疑問に答えることはしませんでした。
 
私は孤独な思いでブログを少しずつ書くようになりました。気楽に当時書いていたのは、そうしなければ自分の精神が崩壊してしまうように感じたのです。私のブログ執筆は自分の過去を否定する旅でした。だからこそ自嘲気味に自分を笑わずにいられなかったのです。
 
私は自分がブログを書いて検証する度に、自身が他人に褒められるような人間でも何でもないことを理解するようになりました。
母も父も家族も全て失った愚かな男に、生き続ける意味などあるでしょうか。
愛することも愛されることも私は忘れてしまいました。
 
私はブログを書きながら、誰にも注目されないと思っていました。一人で誰にも語られず、誰にも見向きもされずに、一人で死んでゆくのだ、母のように、そう思っていました。
それなのに、私がブログを書いてから、多くの場で反響がありました。
 
 
不思議なことです。今にして考えても不思議です。私のブログで「救われた」「目が覚めた」「覚醒した」と感謝の言葉を言われるようになりました。なぜかブログのアクセス数も増え出して、今では350万アクセスになろうとしています。
同時に私を口汚く罵る、日蓮正宗創価学会の活動家たちが増えました。Twitterアカウントを開設してからはさらに私は罵詈雑言を浴びせかけられました。
批判ともいえない非難中傷、罵詈雑言、ほとんど呪詛に近い、ここで口にするのも憚られるようなものばかりでした。けれど私は広宣部出身で、そのような悪口を言われることには慣れっこでした。私は何の痛痒も感じませんでした。
 
私は全てを否定して全てを批判し、それを信じた自身の愚かさ、醜さを認めました。そしてその呪縛や桎梏に囚われている人たちのために、ブログでわかりやすく語ることにしました。
その結果、私は呼吸が楽になりました。私には理解者が増えるようになりました。長井秀和さんや安藤よしひでさん、多くの仲間が私を支えてくれるようになりました。
 
繰り返しになりますが、私は自分が他人に褒められるような人間であるとは今でも思えないでいます。
私は醜い人間です。
私がただ願うのは早く母に会いたいということだけです。あとの私の残された人生は拾い物の人生、ただ笑われて楽しく過ごすだけの道化の人生なのです。私は自分が長く人生を生きたいと思う意味も既に見失ってしまいました。
ただ感謝したいのは、ブログの読者たちが私の新たな理解者となり、私の背中を押してくださることです。このブログを読んでくださる方の一つ一つのアクセスに支えられて私は生きています。
 
私はかつて精神疾患を患いました。病気にもなりました。
それなのに、ブログを書くようになり、創価学会を退会し、日蓮正宗を棄教してから、病気も寛解し、楽しく生きることができるようになりました。
もしかしたら母のおかげなのかもしれないと思うようになりました。
母が私の人生を見守ってくれている……そんなことを思うようにもなりました。
私の人生はいまが一番幸せです。
 
みなさん、ありがとうございます。
全ての宗教的桎梏を否定して離れて初めて、私は自由に思考することができるようになりました。
同時に多くの方がこのブログを読み、大石寺系教学の嘘、池田大作戸田城聖の誤りを認め、それを信じた自身の愚かさに気づいて欲しいと願っています。