いつもみなさん、ありがとうございます。
当たり前のことですが、私のブログは何人かの協力者の存在によって支えられていますが、基本的には小さな個人経営のブログに過ぎません。事実、創価学会や日蓮正宗等の教団からの公式な批判を受け取ったことは有りません。当たり前のことですが、私個人の小さなブログに過ぎないものを、巨大な宗教法人である創価学会や日蓮正宗等は歯牙にもかけないでしょう。
ただどういうわけだか、やたら私個人のこのブログ記事を気にしている方が一定数いらっしゃいます。そういった方々は多くTwitterで一方的に絡んできたり、一方的な印象操作を図って逃げ出したり、悪口雑言をぶつけたりする方がいらっしゃいます。
私のブログに影響力がないなら、放っておけばよい話で、社会的に何の影響も与えないなら私のブログなど誰からも見向きもされなくなり、忘れ去られるだけです。事実、2016年のブログ開設当初、私は自分のブログが単なる個人的独白に止まり、誰からも相手にされないだろうと予想していました。だからこそ「気楽に語ろう」と銘打ったのです。
ところが豈図らんや、ブログの総アクセス数は現在328万を超え、一頃よりアクセス数は減少したものの、今も毎月3万〜5万程度のアクセスがあります。はてなブログの読者登録も200人を超えました。
まあ、リピーターの読者の方が少なからずいますので、そんなにブログが影響力を持っているわけでもないのですが、それでも私のブログを見に来てくださった方の中から「創価学会や日蓮正宗の欺瞞に気づきました」等の応援メールを頂くに及び、本当にありがたい話だと思っています。改めて感謝申し上げます。
繰り返しになりますが、私のブログに普遍性や一定の客観性・例証性がなければ、単に私のブログは忘れ去られるだけです。私のブログ記事の更新をやたら気にされる批判者たちは、私に非難中傷をなすりつけることで、返ってブログに対する社会的な注目を高めてしまっているのです。
つまり騒がれれば騒がれるほど、注目される事態になってしまっているということです。
何人か読者の方と私はDMやメール、また直接会って話す機会もあります。少なくない方々から「ブログを批判したい人たちは、気楽さんのブログが気になって仕方がないんでしょうね」と言われます。私もそう思います。
以前、読者の方から頂いたメールの内容をここで紹介してみたいと思います。
「反証可能性について」
恐らく大石寺・創価学会系教団の信徒たちの多くには「自身の教学体系が批判されることに対するアレルギー体質」があり、それら信徒の方の一部には、正当な批判を受け入れる素養に欠ける方がいらっしゃるように感じられます。
追記
私のブログ執筆は気楽非活個人が行なっていますが、執筆協力者や情報・史料提供者は複数いらっしゃいます。いつもありがとうございます。