気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

語るに足る友。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて私は創価学会の元活動家から徐々に家族の死を契機に非活となり、日蓮正宗の信仰も棄て、自由な身となりました。
そしてこんなブログを書き続けて、もう7年近くも経ちますが、別に私はオピニオンリーダーにもなる気はありませんし、別段特に分派とかを作ろうとも思っていません。
私のブログを読んで、さまざまな感想を頂きます。その中には私を評価して頂く声も多数頂きます。しかし別に「創価学会・気楽非活派」とか(笑)、そんなものを作る気は毛頭ございません。
 
 
創価学会の改革は、教団の執行部、とりわけ会長を中心とした執行部、総務会、最高指導会議、参議会等の組織があるわけですから、彼らが考えるべき問題でしょう。
また日蓮正宗宗務院法主を中心に考えればよいだけのことです。ただ日蓮正宗の信徒の高齢化は非常な早さで進んでいますから、資金面の問題からも改革は急務であると考えられます。まだ創価学会の方が信徒数という意味ではお金があることでしょうから。
 
 
創価学会は、戦後に生まれた相互扶助組織という側面を色濃く持っています。もちろんその前身とも言うべき創価教育学会は戦前に生まれましたが、戦時中の弾圧でほぼ組織実態は壊滅したので、戦後に戸田城聖が構築した宗教組織がその原型と言えるでしょう。
 
しかしながら私はそんな昔の懐かしい相互扶助組織の地区座談会等に何の未練も感傷の気持ちも抱いてはおりません。そのようなコミュニティに当時セーフティーネットとしての歴史的役割があったことは想像できますが、今の私には必要ありません。
私は創価大学在学中、語るに足る友人が多くいました。その友人たちや大学の教授陣と話すことが確かに楽しかったです。
卒業して社会人になり、男子部として活躍するようになりますが、「語るに足る友人」には最初はなかなか巡り会えませんでした。20代の多感な時期に「語るに足る」友人や先輩たちと会えたのは広宣部に所属して以降のことかと思います。
 
教学を研鑽して現場に赴いたり、布教活動や他宗派対策に挺身する中、学んだことを活かして活動することに異様にハマり込んでいきました。
しかし私もいつまでも若くはありません。体調も崩し、仕事を休職し、そうこうするうちに両親も体調を崩して他界します。
その頃、組織の体たらくを見ると、「語るに足る友人」たちはいなくなっていました。ただ組織の上から落ちてくるものを汲々とこなすだけの人たちの集まりに成り下がりつつあり、「書籍を誰に買わせるか」「誰が民音のチケットを買うか」「新聞配達は誰がやるか」押し付け合うだけの組織になりつつありました。
 
日蓮正宗はそう言う時にハイエナのようにやってきます。私の母方系の親族は日蓮正宗に絡め取られ、一家離散したり、行方知れずになったり、創価学会組織の私を口汚く罵ったりと、気がつくと皆がバラバラになってしまいました。
今の創価学会日蓮正宗の活動家たちを見ていると、ますます「語るに足る友人」がいなくなっています。そしてその傾向にさらに拍車がかかっているのです。
 
私が語るに足る友人を失い、両親も失った中で2016年にブログを書き始めました。
私が「語るに足る友人」を得るようになったのは、皮肉にも創価学会でも日蓮正宗でも顕正会でもなく、ブログやTwitterを通じて知り合えた友人たちでした。もはや教団にそのような役割も魅力も感じなくなりました。
 
今の大石寺系教団の信者たちはますます内向的、原理主義的、無謬主義的な傾向が強まり、対話のできない人たちだらけになっています。
そのような居場所に棲みつきたい人たちが一定数いることは想像しますが、もはや今の私には必要のないものなのです。
尊敬する創価大学の先生方も多くは鬼籍に入られ、会えなくなりました。
私がこのブログで書いていることを「語るに足る友人」たちは、もはや教団組織内にいないのです。
ただ私のブログを楽しみにして読んでくださる方たちのために、少しずつブログを書いていきたいだけなのです。