気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

教学の軽視は教団衰退を早める。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、このブログで私は大石寺創価学会の教義上の問題を頻繁に取り上げます。
そのような欺瞞を無反省に信じてきてしまった自己批判でもあるのですが、創価学会は今後、教義の問題を丁寧にきちんと詰める必要があろうかと思います。
今更非活から退会を選んだ自分には何の関係もないことですが、教義を誤魔化したまま組織改革を進めることは、教団の活動家離れを加速化することにしかならない筈です。




現在の創価学会は、第3代会長の池田大作氏を絶対的な指導者として立てていますが、裏を返せば池田大作氏は後継の人材を輩出できなかったということです。
だからこそ信濃町は、少しずつ日蓮正宗時代の教義を、池田大作氏の存命中に変えていきたいのかと思います。
ただそれは単に池田氏の権威に依存して教義を決定することに他なりません。
だからこそ現在の信濃町は、教団自体を「仏意仏勅の団体」「創価学会仏」と絶対化して、それを教義の拠り所にするしか方法がなくなっているのです。




創価学会の躍進してきた時代を支えてきたのは団塊の世代の人たちです。創価学会は高度経済成長の1970年代に教勢を爆発的に拡大させ、巨大教団の礎を築きました。
今は亡き私の両親もそうでしたが、団塊の世代の人たちは集団就職等で地方から出てきて、独自のコミュニティを持たない人たちの集まりでした。それが創価学会の布教活動を通して、次第に地域にセーフティネット、相互扶助の組織を作り上げてきたのです。




その世代の方々は、自分たちのやってきた活動にそれなりに誇りを持っています。また当時の日蓮正宗寄りの教義に対する思い入れも強いものがあるでしょう。だからこそ現在の創価学会の変節に違和感を抱き、反発をする可能性が高いのだと私は思います。
この世代の方々は、それなりに御書も読み、日蓮正宗の教義もそれなりに学んできた人たちです。その人たちの中には教義の変節を許せない気持ちを持つ人がいることは間違いないでしょう。
創価学会の屋台骨を支えているのは、この団塊の世代の方たちです。この世代の人たちの離反を招けば、創価学会の集票力も覚束なくなります。



彼らは高齢故に放っておいても組織の集票力は衰退するでしょう。しかし拙速に教義を改変しようとすれば彼らの反発を招きます。非常に難しい舵取りを信濃町は求められているのです。
ただ創価学会本体としては、池田大作氏の存命中に教義を完全独自色に持っていきたい。そういう本音が見え隠れしているようにも思えます。



教学上の問題の解決は一朝一夕にはいきません。真摯な教学の研鑽と史料の丁寧な紹介、教団信徒への積極的な資料・情報等の開示が必要です。教団のトップダウンだけで教学の確立ができると思っているのが大間違いで、有能な人材を各方面組織、各地域組織に輩出して初めて「生きた教学」になるでしょう。
それを一部の優秀な研究者と教学部、主任副会長らだけで適当に決めてしまい、池田大作氏に決裁をもらってトップダウンで下ろしてしまえば、それはそれで簡単で楽なことです。ただ教学ほどいい加減にしていけないものはない筈です。
さまざまな宗教法人が日本にも世界にもありますが、教学を統括する部署は教団の最も重要な人材をあてるべき、最優先事項である筈です。それにも関わらず、創価学会は教学上の問題を軽く考えているように、私には思えてなりません。



教学上の矛盾は、緩やかに少しずつ教団の衰退を加速させる事態を招くでしょう。真摯な反省も研鑽もない組織に未来はありません。