気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

若き日の池田大作が学んだ御書5編が『御書全集』に収録されていない。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて先日、池田大作の『若き日の日記』の『大白蓮華』掲載分が、全集版と比べて削除されていることを書きました。
 
 
反響も大きく、創価学会本部の過去を隠蔽する本質を如実に語るものとして、多くの方から多くは好意的な感想を頂きました。多くの読者の方、また情報提供や資料提供をくださった会員や退会者の皆様には改めて感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。
 
さて上記記事でも取り上げたところですが、なぜか現在の『大白蓮華』収録分では日蓮の御書の具体的な引用がほとんど全て削除されています。
大白蓮華』は創価学会の会員・信者向けの教義機関誌です。そこから考えれば、第3代会長であり、教団から教義的にも「永遠の指導者」と定義された池田大作本人が青年時代に研鑽されて日記に書き残した日蓮遺文の一節一節を読んで学ぶことは大いに益するところがあろうかと思います。それがなぜか会員信徒に学ばせないとするような態度で、全てカットしているのです。
 
ところで今回、『若き日の日記』を通して一読してみたのですが、現在の『大白蓮華』収録分でカットされている御書中、現在の御書全集に未収録のものをあえて具体的に挙げてみたいと思います。青年時代の池田大作氏は戸田城聖から御書を学んでおり、当然ながら堀日亨版の『日蓮大聖人御書全集』(創価学会旧版の御書全集、昭和27年4月刊行)が刊行される前は、堀日亨版御書全集に未収録のものがいくつかあります。これは御書を創価学会が未刊行だったため、他門流・他山の御書や遺文集を使って日蓮を学ばざるを得なかったと言うことなのかと思います。
具体的に現在の創価学会版に未収録のものは以下の5編の遺文です。日付はそれらが記載された池田大作の『若き日の日記』のものです。
 
『十王讃歎抄』(S25.5.17、S26.3.27)
『戒法門』(S25.5.25)
身延山御書』(S25.6.15)
『授職灌頂口伝抄』(S25.10.26、11.7)
『法華大綱抄』(S25.12.5)
 
上記5編は創価学会版の日蓮の『御書全集』には収録されていません。このことから以下の2点のどちらかの可能性が高いことになるかと思います。
 
①昭和27年版の御書全集刊行にあたり、池田大作氏は編集に参加していなかった。
池田大作氏は御書全集の編集に参加したが、自身は上記5編の御書収録を主張しなかった。あるいは主張はしたが、その意見は採用されなかった。
 
個人的には①で、池田大作氏は御書の編集に参加していなかった可能性が高いと思います。そもそも御書の発刊は昭和27年のことであり、池田大作氏が第1部隊長に就任するのは昭和28年1月のことです。それまで池田大作はまだ龍年光部隊の班長に過ぎません。また池田大作氏が論文審査を経て教学部教授になるのは昭和29年5月10日のことです。したがって昭和27年以前、まだ池田大作氏は御書編集に参加し得る立場ではなかったと考えた方が自然かとは思います。
 
しかし現在から見れば、池田大作氏は創価学会の第3代会長であり、「創価学会会憲」第3条で池田大作は同会の「広宣流布の永遠の師匠」と規定されています。
その永遠の師匠が若き日に学んだ御書が、現在の創価学会の御書全集で学べないというのは大きな矛盾ではないでしょうか。
確かに5編とも真蹟不存の遺文ですが、それを言うなら現在の創価学会版御書全集には『生死一大事血脈抄』や『月水御書』『阿仏坊御書』『諸法実相抄』等の真蹟不存の遺文が数多く既に収録されていますし、偽書の可能性が指摘されているものも少なくありません。
「永遠の師匠」が学んだ御書を、なぜ信徒に学ばせないのか、その理由が不明瞭であると私は思います。
以下に浅井要麟編『昭和新修』版から、『十王讃歎抄』と『法華大綱抄』の冒頭のみを示してみたいと思います。他の御書全集で収録される、これらの遺文がなぜ創価学会版では未収録なのでしょうか。しかも「永遠の師匠」たる池田大作氏が若い頃に研鑽していたことがわかっているにもかかわらずです。(同52ページ、および2064ページ)