いつもみなさん、ありがとうございます。
例えば『生死一大事血脈抄』『諸法実相抄』『御義口伝』『一生成仏抄』『新池御書』などですが、それらの偽作説については、このブログで、一部紹介しているところです。
「『生死一大事血脈抄』は後世の偽作である」
「『諸法実相抄』は後世の偽作」https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2022/08/18/192420
「『御義口伝』における『科註』から『補註』への改竄」https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2024/05/11/064301
網羅的に全てを確認した訳ではないのですが、「なぜこの御書を収録しないのか」と素朴に思える御書をいくつか、ブログ管理者の私見から示してみたいと思います。
1、『戒法門』
公益財団法人「江川文庫」データベースによりますと、この日蓮の『戒法門』の短い真蹟断簡が現存するとされています。
内容としては法華経の立場から十界の依正に五戒が具足することや、十界互具による即身成仏などが説かれます。また真蹟不存で宗旨建立以前とされる『戒体即身成仏義』と異なり、密教を立てて顕教を劣とする表現が見られず、恐らくは建長5年前後の述作とされることからも収録されることが妥当かと思います。また事実、創価学会の池田大作も『若き日の日記』昭和25年5月25日付で、同抄の一部を日記に引用しています(『池田大作全集』第36巻所収、66ページ、聖教新聞社、平成2年)。
2、『戒之事』
この『戒之事』は、真蹟2紙断簡が静岡県三島市の本覚寺に現存しています。釈迦の日蓮思想を知るという意味では、『戒体即身成仏義』から宗旨建立の建長5年にかけて、他の『五行事』や『戒法門』等、初期の日蓮思想を知る貴重な史料かと思います。
3、『不動愛染感見記』
「『不動愛染感見記』は日興から日目に付属された」https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/08/24/223933
4、『秘書要文』
中山法華経寺に冊子として33紙が現存するようです。しかしながら日蓮真蹟は中間部と終わりの2箇所に限られ、残りは他筆で多くは富木常忍の筆とされています(菅原関道氏の研究調査では「聖人の要文集を富木氏・某者が書写し、聖人も加筆して成立した」とされます)。主に図版として書かれていて、山上弘道氏によれば「日蓮初期段階の思想を示す貴重な文献であり、今後遺文集に収録されるべきである」としています。
5、『白木御消息』
書状1紙で真蹟が現存します。元々は京都府の一檀家(遠藤佳子氏)が所有したもので、中尾堯『日蓮真蹟遺文と寺院文書』(吉川弘文館、平成14年)で紹介されました。その後は平成17年に東京古典会が入札し、現在は所蔵不明のようです。反故紙に書かれており、対告者は富木常忍の可能性が高いと考えられます。別題号は『某殿御返事』と呼ばれます。

6、『四教略名目』
内容は化法の四教である蔵、通、別、円の次第により、図を用いて説明されるものです。
内容から『一代聖教大意』(日目写本現存)に先行する、その下敷きとなるものと推定されています。
7、『迦葉付属事』
この『迦葉付属事』は諸遺文集に収録されていませんが、山上弘道氏の見解で「禅宗破折の基礎的資料として貴重であり、今後遺文集に収録されるべき」(山上弘道『日蓮遺文解題集成』93ページ、興風談所、令和5年)と述べており、同氏により全文の翻刻が紹介されています。
8、『秀句十勝抄』
日蓮真蹟3巻、全64紙が中山法華経寺に現存します。系年は諸説あるようですが、山上弘道氏は建治3年末頃から書き始められ、一端筆を止め、その後、間を追って書き継がれて弘安元年7月〜8月に成立したことを推察しています。
内容は『法華秀句』の目次から要文が示され、それについて日蓮がコメントをしたり、また日蓮が経釈を引用して補完したりするスタイルで書かれています。この中で強く批判されるのは台密の慈覚や智証、安慧、安然らであり、この御書は恐らく『法華秀句』が直接的に批判対象としていない慈覚や智証を批判することで、『法華秀句』を日蓮なりに補完するものであったと考えることができます。
9、『六識事』
内容は六識について図示されたもので、具体的には眼識には肉眼や天眼、恵眼、法眼、仏眼が備わることが示され、前後や行間に日蓮のコメントや『法華文句記』等の釈が引用されています。
既に述べたように、日蓮真蹟遺文は多岐に渡り、まだまだ書きたい遺文もありますが、今回はここで打ち止めにし、また続きを書いてみようかと思います。
いずれにせよ、日蓮の思想の全貌を把握するには、やはり日蓮の信用し得る真蹟等から読まなければならないでしょう。それを仮にもしも教団の都合から信徒に紹介しないようなことがあるのなら、それは公平な態度と呼ばれるものではないと考えます。
参考文献
山上弘道『日蓮遺文解題集成』興風談所、令和5年