気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「事の一念三千」は日蓮真蹟遺文中で全く使われない語である。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
 
さて創価学会大石寺系教団の信者は、自分たちの教えの根本を説明するのに「事の一念三千」という語を使います。
ところが、この「事の一念三千」は、日蓮真蹟遺文に1箇所も出てこない用例なのです。
つまり「事の一念三千」は日蓮の真蹟には全く書かれておらず、逆に偽書の疑いの強い、後世の偽作の可能性が高い遺文にしか出てこない表現なのです。したがって「事の一念三千」は日蓮の教義とは言い難いのです。
 
 
具体的に見てみましょう。「事の一念三千」が出てくる遺文は具体的に以下の7つの述作のみです。これ以外に「事の一念三千」が出てくる御書は存在しません。数字は創価学会旧版御書全集で「事の一念三千」が実際に書かれている頁数になります(「平」は昭和新修・平楽寺版の頁数です)。
 
『諸法実相抄』(1358)
『義浄房御書』(892)
『成仏法華肝心口伝身造抄』(平2079)
『当体蓮華抄』(平2081)
『御義口伝』(717、752、753、757)
『御講聞書』(812、843)
『百六箇抄』(862)
 
まず『諸法実相抄』には日蓮真蹟も古写本も実在しません。また同抄は録外および寛文9年(1669年)の「他受用御書」によって知られるようになった遺文です。室町時代から江戸時代にかけて知られるようになったものが、日蓮の著作である可能性は極めて低いでしょう。
 
「『諸法実相抄』は後世の偽作」
 
また『義浄房御書』もまた日蓮真蹟、古写本不在であり、録外初出の御書です。身延山11世行学院日朝(1422〜1500)筆写の録外御書の中に「義浄房御返事」とありますから、そもそも15世紀の室町時代になって初めて知られるようになった遺文が日蓮の真蹟であることは考えにくいでしょう。
 
『成仏法華肝心口伝身造抄』や『当体蓮華抄』も同様に録外初出で、真蹟も古写本も存在しません。またこの御書は創価学会版御書全集には収録されていません。
 
 
つまり日蓮真蹟遺文、また日蓮在世の弟子たちの写本が残る信頼性の高い遺文中には「事の一念三千」の用例は全く存在していないのです。
『御義口伝』は当然ながら日蓮真蹟も古写本も不存、最古の写本は何と天文8年(1539年)の八品派日経のものです。日蓮滅後257年後の写本が初出ならとても『御義口伝』が日蓮の述作とは言えないでしょう。また同抄では日蓮滅後13年後に刊行された『科註妙法蓮華経』の引用が存在します。日蓮がどうやって自分の死後に現れた文献を生前に引用できるのでしょうか。
 
「『御義口伝』における『科註』の『補註』への改竄」
 
また『御講聞書』は浅井円道氏の『『御講聞書』考』(『棲神』48号所収、身延山短期大学学会、1975年)によるなら版本の奥書に「御本云明応九年庚申四月十三日」とあり、この頃(1500年頃)の成立と考えられています。
 
『百六箇抄』にも日蓮真蹟は存在しません。そもそも『百六箇抄』は内容に史実との不整合が多く存在します。例えば「六老僧」の選定は弘安5年の筈なのに、弘安3年の同抄で言及されているのは矛盾します。また弘安3年時点で阿闍梨号を授けられていない伯耆房を既に「白蓮阿闍梨日興」と呼ぶなど、史実との不整合、矛盾が散見されるのです。
 
「『百六箇抄』の問題点③史実との不整合」
 
 
いずれにせよ「事の一念三千」の使用例は、日蓮真蹟には全く見られません。
 
 
 
では日蓮ではなく、六老僧の述作中に果たして「事の一念三千」の用例は存在するのでしょうか。
それは『五重円記』と『引導秘訣』です。
 
 
『五重円記』は末尾に嘉伝日悦写本の奥書で「岡宮徳栄山光長寺」にある正本を「日賀」が写したとあります。ところが、同寺は日興に破門された日法の開山であり、日興真蹟が現存したことに「疑問が残る」と宮田幸一(創価大学名誉教授)氏は指摘しています。
また『引導秘訣』については大石寺18世日精の写本が存在しますが、そもそも大石寺59世堀日亨氏は『富士宗学要集』で同抄を「筆者不明」として日興の著作として認めていません。そもそも『五重円記』を堀日亨は『富士宗学要集』に収録さえしていないのです。
 
 
日蓮も日興も言及したことがない「事の一念三千」は、到底日蓮の教義、日蓮の思想などとは言えないでしょう。
後世に作られた教義を用いて「日蓮の思想」を騙るのは自由ではあっても、単なる日蓮の実像の歪曲にしかならないと私は思います。
 
 
 
参考文献
三浦和浩「日蓮教学用語としての「事具三千」の成立について -『円極実義抄』の撰述問題を通して-」『桂林学叢』第28号所収、平成29年