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さて以前、法華経の観世音菩薩普門品にある「還著於本人」について、その前提となるのが「念彼観音力」であることを書いたことがあります。
「還著於本人のこと」
今回はその続きになります。
ところでこの「還著於本人」が書かれているのは普門品(観音品)の偈の部分です。偈とは「詩頌」のことで、例えば「自我偈」や「世雄偈」のように、前段で語られたことを詩の形にして朗誦することです。漢字5文字で統一され、読誦の際に音節数が一定のリズムを持つように書かれた部分になります。
「以下の偈頌は正法華にも羅什訳本にもなかったが、隋の闍那崛多(Jñānagupta)及び達磨笈多(Dharmagupta)によって601年訳出された添品妙法蓮華経から補足されたものである。」
したがって「還著於本人」の句を含む普門品の「偈」は鳩摩羅什訳出の法華経ではないということです。中国の天台智顗は6世紀の人物(538〜新暦598)ですから、当然ながら智顗は601年訳出の『添品妙法蓮華経』初出のこの偈も「還著於本人」の言葉も知らなかったことになります。
日蓮の『注法華経』にはそのことがきちんと記録されていまして、以下にあるようにはっきりと「偈頌(闍那崛多所訳故文句不釈)」と書かれ、智顗の釈は残されていないとされています(前掲書『妙法蓮華経並開結』633ページ)。
したがいまして、「還著於本人」等の句を含む普門品の偈は本来、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』の言葉ではなく、601年の闍那崛多・達磨笈多訳『添品妙法蓮華経』中の言葉であるということになります。つまり『添品法華』の偈が後世に鳩摩羅什訳『妙法華』に挿入されて今のような形になったということです。