いつもみなさん、ありがとうございます。
この第3回目を読んだ率直な感想は、池田大作氏の「論理の唐突な飛躍」「大言壮語」「自画自賛」という印象を強く受けるものでした。この中には謙虚で真摯な池田大作というイメージはあまりなく、「自分がいかに凄いか」「自分にいかに力があるか」を語っているように思います。果たして読者の皆さんはどのように感じられるでしょうか。
「第3回社長会 [於ホテル・ニューオータニ] 42.8.17 午後5:30〜8:00
先生、和泉、北条、中西、星生、田中、篠原、八矢、星野、小島、木村
◎社長会も3回だ。100回、200回と続けてゆこう。どうなってゆくか楽しみだ。
六名の社長から出発、六は玄なり幽なりだ。青年部も学術部も、又、水滸会も最初は10名たらずだ。
この社長会も将来どの様に発展してゆくか。
◎鳳もバッジを作りなさい。東洋も新しい時代だから新しくしたらどうか。
◎リズムある生活で長生きをしなさい。夜は早く寝て、頑丈な身体になれ。健康な中に歴史を残そう。学会の為になる人は長生きしてほしい。その反対の場合が多い。学会の為になる人か、ならない人かは解る。勿論、信心で変ってゆく。私は両方共、包容してやってゆく。
このメンバーはブレーンとしてやって行ってほしい。ブレーンがなければ、やって行けない。ケネディはブレーンで成功した。今迄のようにやれやれと云うだけのブレーンだけではならない。
幅広い人材が必要だ。
◎文武の二道がいる。私は文の方だ。北条さん、星野君は武だ。篠原さん、中西君は文だ。あとは文、武どちらもない。
◎早稲田出身は開拓、内部は東大出だ。やはり、その学校の特徴をきちんと持ってくる。不思議な眷属妙だ。
◎東洋精光が一番可哀いそうだ。他は本部関係で安定している。東洋精光が一番苦戦で不安定だ。将来のことを考えてあげる。
九月に三多摩へ行くから、その時会社に寄ってあげる。一度会社を見てから考えよう。とにかく、ビルだけはなんとしても建ててやりたい。それでなければ可哀そうだ。
◎本山へお忙しい先生をたずねて評論家が来る。相手も忙しいが、すべて順調である。先生と会うだけで、相手が良くなる。
評論家がつきっきりで、あらゆる質問をする。普通2〜3時間で話がなくなるが、どこ迄いっても盡きない。家内が来て、取り持つ隙がない位話が盡きない。
又、質問には全部答え、その答えに全部裏付がある。例えば、読んだ本、2万と答えたが、実際に書庫には3万冊あった。
しかし仲々大変だ。向うは東大出で年配であるから、こちらを見てびっくりしている。しかし大軍を大禍なく動かしている事実を見ている。
やきもちで見ている。こんなに苦労してやることは何もないが、将来の為にやっている。
これはやって置かなければまずいなと思う事を必ず聞かれる。
十月は東洋担当で熱海"石亭"に行って、熱海研修所の土地を見よう。
◎革命は希望だ。明るく成長しながら成しとげよう。
◎16日、早朝は富山にいて、高山線で高山について車で名古屋に出て、新幹線でその晩東京に着く。一日、日本を半縦断して、会合を二回も持つ。これでも中西君は平気だと云うから、かなわない。
◎A・A諸国の後進国に対する、外交展望を党でまとめる事。内政面では防衛問題。
◎社会党の左右激突による衰退、いよいよ新しい時になった。第二党になれるぞ。
◎評論家の質問に全部答え、それに全部裏付けがあった事で驚いていた。正確な事は大事なことだ。大阪事件の時、四年たってから、刑事の取り調べの日時を裁判官から聞かれたから正確に答えた。後で記録を調べたら、全然誤りがなかった。
他の人の供述は全部間違っていた、その事で裁判官は池田被告の云うことは、信頼がおけると心証をよくした。
◎私は帷幕の内で考えるのではなく、動きながら考えなければならないから疲れる。頭が疲れる、余裕が無いと盡きてしまう。
次の水が入る迄は枯れてしまう。
聖教新聞も先生がずい分書いて間に合せてやった。今度、理論部が出来て、一つの砦にはなる。外部の力をあそこに引きつければ、私のところへ来るのが弱まる。
考える余裕が出来る。
◎御義口伝が10月に完成する。本当はその一つでも大変なんだ。皆はまだまだ楽だよ。
◎私と会って会食するだけで良くなってしまう。社長の目、顔、声で全部分ってしまう。その上で必要な手を打つのだから正確だ。最高の指導だ。浩ちゃんだったらどうだ。2時間位、経営方針の検討で食事にならない。中西君だったら美華だ。私は木曽義仲はつくりたくない。権力だけに頼る人にはしたくない。社会党や共産党はこれだ。」
(「継命」編集部編『社長会全記録』より30〜32ページ、継命新聞社、昭和58年)
会食の場であるとはいえ、非常に論理の飛躍が多く、「なぜそう言えるのか」に疑問がわくことが多い指導内容のように思います。
例えば「六名の社長から出発、六は玄なり幽なりだ」とありますが、そもそもなぜ「六」という数字が「幽玄」を意味するのか、説明がありません。「幽」「玄」という概念は確かに『開目抄』で古来の中国の思想が語られる際に出てくるものですが(旧版御書全集186ページ)、これらは本来仏教の概念ではなく、古来の中国で用いられた概念に過ぎません。「六」という数字を特別視する理由もここでは語られていませんが、「六」を縁起の良い数とするのは中国語の発音によるものと考えられます。しかしこれも仏教ではありません。
また「社長会も3回だ。100回、200回と続けてゆこう。どうなってゆくか楽しみだ。」とありますが、この社長会は結局、昭和47年6月15日の第61回をもって終了します。池田氏が言ったように100回を達成することはできませんでした。
また「このメンバーはブレーンとしてやって行ってほしい」とあり、確かに和泉覚氏などは理事長から最高指導会議議長まで勤めた人物ですが、果たして木村靖氏、田中正一氏、星生努氏などは果たして後年、創価学会の「ブレーン」として活躍されたのでしょうか。「ケネディはブレーンで成功した」と池田大作氏は述べていますが、その根拠や具体的なブレーンの人物名は挙げられておらず、どこか唐突で論理が飛躍しているように感じられます。
また「早稲田出身」「東大出」が「その学校の特徴を持ってくる」と言い、それが「不思議な眷属妙だ」と池田氏は述べますが、何が「眷属妙」なのかがよくわかりません。そもそも「本眷属妙」とは天台智顗が『法華玄義』で用いた十妙の概念のうちの一つで「衆生と仏とが結縁したことの妙」を語った概念です。なぜそれがメンバーの出身大学それぞれの特徴を説明する際に用いられるのか、理解に苦しみます。
ところで、池田大作氏のどこか庶民的な親しみやすさというのは、読んでいて伝わってくる気がします。例えば東洋精光が経営的に苦しかったのか、池田氏は「東洋精光が一番可哀いそうだ」と言い、「苦戦で不安定だ」「将来のことを考えてあげる」と述べています。こう言うところが当時の池田大作氏の人間的な魅力であったのでしょう。東洋精光の当時社長でこの会の記録者でもあった木村靖氏はこれらの言葉にきっと励まされていたことと考えられます。
ただ池田大作氏の大言壮語、自画自賛のような発言は抵抗が残ります。私は氏のスピーチを若い頃から直接に聞いたことがありますが、確かに自分のことを持ち上げることが多かったように記憶しています。具体的にここでは「先生と会うだけで、相手が良くなる」「大軍を大禍なく動かしている」「書庫には3万冊あった」「聖教新聞も先生がずい分間に合せてやった」「私と会って会食するだけでよくなってしまう」等とあり、自分で自身のことを持ち上げる姿勢は、やはり当時の創価学会が教勢を拡大していた証拠、そしてそのことへの池田氏本人の自信の現れかとは思いますが、そのように自分を持ち上げられる感覚にどこか違和感を私は感じます。果たして読者のみなさんはどのように感じられるでしょうか。