気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

教団によって歪められた教義。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
どういう訳なのか、創価学会日蓮正宗顕正会等の大石寺系信者たちは、教学に関して「教団が言っていること」「教団によって歪められた教義」を金太郎飴のように繰り返して述べることしかできない人たちが多発しています。
 
 
そもそも大石寺26世堅樹院日寛の教学を金科玉条とし、やたら日寛の『六巻抄』や『文段』を使って自宗の正統性を主張したい方が信徒の中には少なからずいらっしゃいます。
それら信者さんの中には独自のブログ等を書いたり、SNSで発信したりして主張をされている方もいます。
ところがこちらがブログで主張していること、例えば三大秘法と三種の神器を同一視しているのは、国柱会顕正会に先行して大石寺26世の堅樹院日寛が既に述べていることなのに、都合が悪いのか、そのことを日蓮正宗信者は指摘されると意図的に無視して公言しないようになってしまうのです。三大秘法を三種の神器と同一視する教義は元々国柱会の専売特許だったのではなく、大石寺も同様のことを主張していたのです。
 
「三大秘法と三種の神器。」
 
他にも多くの論点で、日蓮正宗信者は聞かれると誤魔化して論点を逸らすことが多いです。
例えば本門戒壇堂の建立を広宣流布の時に天皇が建立する教義は顕正会の主張と考える日蓮正宗信徒は少なからずいますが、そもそも大正2年(1913年)、大石寺は56世大石日応の頃に既に「天皇陛下が建立し給う本門戒壇堂」ということを当時の法華講総講頭の主張として公式に述べているのです。この事実も指摘されると多くの信者は何も言えなくなってしまいます。
 
天皇建立の本門戒壇堂という教義」
 
また現大石寺宗門は、本尊書写を「法主の内証」の書写として解釈しているのに、大石寺26世日寛はそうではありません。日寛は本尊書写を法華経法師品の五種の妙行を総する「受持の位における化他行」であると説明しているのです。この事実を指摘されると、日蓮正宗信者の多くは誤魔化してスルーすることが多いです。しかもそのことが述べられているのは日寛の主著である『観心本尊抄文段』(『観心本尊抄愚記』)であるにもかかわらず、そのことを知ってか知らずかスルーすることしかできなくなってしまうのです。現日蓮正宗宗門の述べる教学との整合性さえ何一つ彼らは答えられなくなってしまいます。
 
「本尊書写は受持の因分における化他行である。」
 
創価学会信者もまた『御義口伝』の偽書説、また『生死一大事血脈抄』や『阿仏坊御書』等の偽書説について指摘されると、感情的に反発するばかりで、何一つ論理的に回答できなくなってしまいます。
 
「『御義口伝』における『科註』の『補註』への改竄」
 
「『生死一大事血脈抄』は後世の偽作である」
 
「宝塔について」
 
 
つまり日蓮正宗創価学会顕正会といった「大石寺系教団の信者」たちの多くは、教団の提示する教学解釈を何の検証もせずに信じ込むことが「信仰態度として正しいこと」と考えており、教団の提示する文献解釈を鵜呑みにすることが教学の研鑽であると勘違いしてしまっているのです。
回答に詰まった日蓮正宗の一部の原理主義的な信者さんは頑なに「御法主上人猊下相伝を信じる」と言われて、やたら理屈にならない盲信を強調しますが、その言い方はどこか創価学会の一部信者さんの「池田先生の心を我が心として」とか、顕正会信者さんの「浅井先生の思いを受けて」等と同じような響きを感じます。
 
教学とは宗祖の述べるところを真摯に学び、経文や真蹟文献の上から信仰を深めていくことかと思うのですが、大石寺系教団の原理主義的な一部信者さんたちは、教団によって「解釈された教義」「歪められた教義」を学ぶことが教学の研鑽であると勘違いされてしまっているのでしょう。