気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

三大秘法と三種の神器。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮の思想に神道の影響が強いことは、当ブログで何度か指摘させて頂いています。



「純粋な日蓮の思想を考えると」

「神社建立・本尊奉納は大石寺の本来の教義」




さてそんなことを調べていたこともあって、本化妙宗連盟(国柱会・田中智学の弟子である山川智応が創立した宗教法人)の教導である、高橋智經の論文を読んでいました。
すると日蓮の三大秘法と国体護持の「三種の神器」を同一視する議論と出会いました。少し引用してみましょう。



「このような統一された教義において、日蓮聖人が法華経を依経として本化上行菩薩によって人類をいかに平和にしていくか、その精神的な根本文明を示されたものが、三大秘法です。この三大秘法は、三種の神器の玉・鏡・剣と相応しています。勾玉は題目。八咫鏡は本尊。そして草薙の剣は戒壇です。(中略)
日蓮聖人の宗教は一天四海皆帰妙法という、世界を統一して平和を達成するという教えです。宗教に関係なく日本国家も、やはり天照大神という神様からいただいた三種の神器を受け継いで、神武天皇は"慶びを積み、輝きを重ね、正しきを養い、しかるのちに、八紘一宇、六合一都となす"ことを理想としました。これが、本門の題目・本尊・戒壇をもって、一天四海皆帰妙法を実現せねばやまないという日蓮聖人の宗教とぴたりと重なるのです。ここに自然と『王仏冥合の思想』が出来上がってくるのです。」
高橋智經「日蓮聖人の本門戒壇思想」、西山茂編『本門戒壇論の展開』所収、25ページ、本化ネットワークセンター、平成27年



一読されておわかりのように、三種の神器と三大秘法がここでは同一視されています。
このような議論は、創価学会の活動家の頃には全く理解できなかったことですが、確かに日蓮には天照大神への信仰があり、弟子の日興もまた本門寺構想において、末法本門寺の垂迹神を「天照大神」と「八幡大菩薩」と書いて残しています(日興『三時弘経次第』)。
なので、日蓮や日興門流の思想に既に天照大神天皇を重要視するエレメントが存在しているわけでして、国柱会や本化妙宗連盟のように国体護持と戒壇建立思想を結びつける議論は、あながち日蓮の思想として不自然な議論とも言えないと思います。



さて、そんなわけで、私としては「大石寺法主で、三種の神器と三大秘法とを結びつける議論を展開している人がいたのだろうか」という素朴な疑問がわきまして、もう一度『富士宗学要集』を読んでいました。
そうすると、見つかりました。
三大秘法と三種の神器とを同一視する教義を明確に述べている、その一人こそ、実は大石寺26世の堅樹院日寛だったんですね。



「一、三種の神器の事  神璽・宝劔・内侍所なり。
神璽は玉なり。天照大神の岩戸に籠り給ふ時、諸神祈り申して天の香久山の坂樹の上枝に八尺瓊の御統る是れなり。
又、八尺瓊の曲玉とも申す。天照大神、素盞鳥尊と誓ひ給ひし時、御髪に付けさせ給ひける者なり。また素盞鳥尊此の国の羽明る玉と云ふ神より受けて、後に天照大神に奉り給ふとも申すなり云云。
妙法を付属すると神璽を譲ると、其の品異なりと雖も其の趣き是れ同じ。妙法は即ち是れ髻中の明珠の故なり。安楽行品の如し。(中略)
宝劔とは素盞鳥尊出雲の国にて八岐の蛇を切り給ふ時、大蛇の尾の中に有りしを取つて天照大神に奉る。後、人皇に及んで伊勢大神宮にありしを、日本武尊東征の時是れを申し出し帯し給ふ。駿河国にて賊徒火を放ちて尊を焼かんとしける時、尊此の劔を抜いて草をはらひ給ひければ、火烟賊徒に吹きかゝり逃亡す。是れより草薙劔とも申す。其の長き十抱ある故に十抱の劔とも申すなり云云。
妙法の付属は宝劔を授くると其の意之同じなり。(中略)
内侍所とは神鏡の事なり。八咫鏡とも申す。八寸有るが故なり。是れも天照大神、天の岩戸に籠り給ふ時、天の香久山の中枝にかけて祈り給ひしなり。是れは諸神はかりて日神の御影をうつして鋳給ふ鏡なり云云。職原大全一に云く、往古の神勅とは日本紀に、天照大神手に宝鏡を持ち天忍穂耳尊に授けて之を祝して曰く、吾が児此の宝鏡を視る当に吾を視るがごとくすべし云云。愚謂へらく、曰く、天照大神初め天忍穂耳尊を以て葦原中国の主と為す。此の時此の鏡を授けて云く、汝此の鏡を見る、吾が姿を見るが如くせよ、夫れより代々地神相伝ふ○古事記に云く、此の鏡とは専ら吾が御魂と為して吾が前に拝むが如し文。鏡を以て御魂と曰ふ。今の伊勢内宮の神躰是れなり已上略抄。
妙法の付属亦是れ同じきなり。」
(日寛『主師親三徳抄』富士宗学要集10-102〜104ページ)



読んで明白で、ここでは明らかに日蓮の三大秘法と三種の神器は同一視されています。先の本化妙宗連盟の高橋氏が述べていた趣旨と、大石寺の日寛がここで述べていることは驚くほど符合しています。
とすれば、やはり大石寺の古来の教義には疑うことなく神道の影響が存在し、それが昭和期に入って創価学会の出現以降、徐々に薄まっていったのだろうと思います。



ところで、創価学会が各家庭に頒布している本尊は大石寺26世日寛書写のものです。
もしも日寛の教義を根本にするのなら、三大秘法と三種の神器は趣旨として同一であるという日寛の教義に立ち返り、国柱会や本化妙宗連盟のような教義に返らなければ筋が通らない気がしてきます。まあ、既に退会している私には、そんな教義は必要ありませんし、願い下げなんですけどね。